文(ぶん)さんの愛称で親しまれ、26日に亡くなった元TBSアナウンサー山本文郎(やまもと・ふみお)さん(享年79)の通夜が27日、千葉・鎌ケ谷市の斎場で密葬として営まれた。近親者ら約50人が参列。取材に応じた妻の由美子さん(48)が、山本さんが26日午前2時6分、千葉県内の病院で肺胞出血で、家族にみとられながら亡くなったことを明かした。

 山本さんは突然、逝った。20日には東京・銀座のヤマハホールで行われたモデルすみれ(23)のコンサートを由美子さんと観賞し、帰りにビアホールに寄ったほど元気だった。しかし、帰宅後に頭の痛みを訴えて、翌21日に入院。それでも、25日には見舞いに訪れた小学校の同級生相手に「まだ、死なねえよ。もうひと花咲かすから」と言い、2008年(平20)に再婚した由美子さんの先夫との息子、大学生の湧登さん(19)と高校生の賢人さん(17)には「お前たちの子供、孫を見るまでは死なねえから」と話していた。

 ところが、その後に苦しみだして意識を失ったという。病院には、97年に亡くなった前妻明子さんとの長男、文明さん夫妻も駆け付け、由美子さんと3人で最後をみとったという。

 「みんなが帰った後に、まるでスイッチがオフになったかのように苦しみ出しました。でも、最後はスーッと眠るようでした。長く患ったわけではないので、やつれてなくいつも通りの顔でした」(由美子さん)。

 亡くなる前日には病床で「お前がいなけりゃ、俺は生きていけない」と話したといい、由美子さんは「当たり前よ」と返したという。再婚当時は31歳の年齢差と、山本さんが73歳で「芸能界最高齢婚」と話題になったが、2人は最後まで熱い関係のままだった。

 この日の通夜は密葬で、様子は非公開だったが、山本さんがイメージキャラクターを務めていたアパート経営専門業者の広告として使用されていた笑顔の写真を遺影に使ったことを由美子さんが明かした。さらに由美子さんは、山本さんには持病の糖尿病から派生した心臓疾患もあったが、毎月医者にかかり、19日には都内で、由美子さん同行の上でパーティーの仕事をこなしていたことも明かした。「最後まで24時間一緒で、旅番組の仕事で北海道から沖縄まで行けて幸せでした。後日、喪服禁止のお別れ会を盛大に陽気にやりたいと思います」。

 気丈に取材対応した由美子さんだったが、最後は目を赤くして涙をぬぐっていた。

 ◆山本文郎(やまもと・ふみお)1934年(昭9)12月23日、東京・小石川生まれ。57年に早大卒後、ラジオ東京(現TBS)入社。「テレポートTBS6」「モーニングEye」などでキャスターを務め、人気を博した。94年にTBSを定年退社し、個人事務所を設立。96年フリーに。97年元日に脳梗塞で妻を亡くし、08年に31歳年下の由美子さんと再婚。