カステラ製造で有名なその老舗の本店は、梅雨明けの暑い長崎の昼間にも、古い木造店舗の中に大勢の観光客を招き入れていた。伝統のカステラがガラスケースに入れられて、堂々とした茶色の頭に黄色い顔をした長方形の姿を見せているが、目を引いたのはその脇に並んでいたカラフルな小箱だった。青とオレンジ、緑とピンクなど大胆な配色ながら派手さは控えめな一品は、聞けば中に2切れのカステラを抱えて、「いつでも、どこでも」楽しめるようにと考案され、人気を博している商品なのだという。威厳ある建て構えの本店のガラス扉をくぐり抜けると、なんとも先進的な商品が外国人も混じる旅行者たちの視線をもらっていた。

 長崎に行ったのは、リオデジャネイロ五輪柔道男子81キロ級代表の永瀬貴規の出身地だったから。そう、老舗での出会いを目の当たりにして、問題は柔道のことだった。日本における五輪界の老舗こそ柔道なのであった。そしていま、その老舗を担当する新聞記者として、顧客離れを大きく懸念している。

 例えば、五輪開幕前に出されるさまざまな特集本の表紙には、もちろん注目選手たちが並ぶ。統計を取ったわけではないが、体操の内村航平、レスリングの吉田沙保里は鉄板だろうか。では柔道は…。スポーツ専門でトップを張り続ける雑誌の表紙には9人のアスリートが並んでいたが、そこに柔道着をみることはなかった。「現役の柔道家で誰を知っていますか?」と聞いてみれば、おそらくすぐに名前が挙がらない方も多いのではないだろうか。その世間一般の認知度こそが、五輪前の柔道に対する非認知度を呼び込む。たかが、雑誌の表紙だろうとは思わない。日本の五輪で最もメダルを獲得してきた競技だからこそ、リオデジャネイロ五輪でも金メダルを期待できるからこそ、逆にこの関心の低さは緊急事態だと思ってしまうのだ。

 この状況説明を端的に終わらせるのは「ロンドン五輪で金メダル1つに終わったから」「特に男子の重量級でメダルなしに終わったのも痛かった」というのは決まり文句だろう。その言葉は金メダル=注目度という短絡的な考えに支えられる。山下泰裕、斉藤仁、井上康生、鈴木桂治、女子なら谷亮子がいた。万人も知る選手は黄金の輝きを手にした姿とともに広く人口に膾炙(かいしゃ)していた。ただ、ロンドン後の4年間における世間の関心の低さをこの定説で結論づけることは、あまりにも思考停止にすぎる。問題は「老舗」の在り方だと思うのだ。

 カステラが2つ入ったデザイン性豊かな箱。ヒントはそこにある。柔道界はこの4年間、柔道家たちに注目を集めるような発想、取り組みをしてきたかということだ。日本で唯一行われる国際大会「グランドスラム東京」、五輪、世界選手権の代表選考会となる全日本選抜体重別選手権。会場に足を運ぶ度に、その露出に対する感性の鈍さにいら立ちを覚えた。見に来る観客への決まり技の説明もなければ、畳に上がった選手の簡単な経歴すら説明がない。柔道の事が好きで、柔道の技にも詳しい人にしか相手にしない印象を受け続けた。伝統の味はわかる人だけわかればいい、そんな一種の傲慢(ごうまん)すらも感じるときがあった。

 試合以外も同じだ。柔道の事を知らない人に対して、どれだけ広報することを意識して来たのか。選手をバラエティー番組に売り込むことが決してPRではないと思うが、果たしてこの4年間でテレビなどのメディアを通じて柔道家の姿を何回見たのか。統計はなく皮膚感覚になるが、アテネから北京、北京からロンドン、そしてロンドンからリオデジャネイロ。おそらく右肩下がりだろう。それは決してロンドン五輪の金メダリストが松本薫1人だったからではない。そして、だからこそ五輪直前になっても一向に露出が上がっていかないのだし、新たに注目され始めた他競技の新鮮さに負けるのだ。

 この状況を人一倍危ぶんできたのは、男子の井上康生監督だ。自らスター街道を歩いてきた男だからこそ、当時といまの状況の変化、悪化には敏感だ。記者に直接、露出を増やす方策を聞くために朝食会をセッティングすることすらあった。議題になったのは空港での選手の対応、1人の選手を聞いているうちに他選手が空港を後にしてしまい、選手の肉声が届く機会を自ら逸していることや(これはその後に監督自らが全日本柔道連盟を話し合い、重要な大会の帰国時などで複数選手の取材の機会が設定された)、練習公開などの取材機会を増やすことが露出に直結するかいなかという議論などもあった。ただ、その改善においてやはり真っ先に挙がる理由はスター選手の不在。メディアが扱うにしても、柔道家は金メダリストが当たり前の状況が逆に足かせとなっているのではという声だった。

 そこでリオデジャネイロ五輪だ。まず言えることは金メダリストを何人輩出できるかで、発祥国としての自負と誇りがかかる20年東京五輪に向けた行く末が大きく左右されるということ。金メダルを取ることがスター選手の出現ではないが、必須条件でもある。カステラの味はやっぱりうまい方が良い。そして、これはその先の話になるが、その中身をうまく包み込む小箱、その選手をスターにしていくための先進的な方策こそが柔道界の未来を作ることになる。幸い、ブラジルで戦う男女14人はどの選手も金メダルの期待を持っていい強者たちだ。人間性も面白い。世間の関心が低いことを敏感に感じて、問題意識を持っている選手もいる。

 最後に、これは4年間柔道を担当してきた一記者として、言いたい。「なかなか記事が大きくならずに爆発の時を待ってきたのだ、この4年間」と。多くのメダル、それも最も輝くメダルを手にした姿を、より多く記事にしたい。選手の技術、出自など伝えたいことは山ほどある。金メダルをとればそこで注目度が高まるだろうが、それで終わりではない。その先も老舗が老舗として存在感を示すための戦略を練る第1段階としての金メダリストたちだ。そのためにリオで大暴れしてほしい。【柔道担当=阿部健吾】