<J1:川崎F0-0清水>◇第4節◇27日◇等々力

 J1清水はアウェーで川崎Fと対戦し、終始攻め込みながら、スコアレスドローに終わった。クラブ創設当時から密着取材を続け、24日に急死したフリーライター大場健司さん(享年42)をしのび、喪章を着けての一戦。白星こそささげられなかったが、大きな目標に向けて決意を新たにした。

 どうしても勝ちたい理由があった。ACLなどの過密日程で疲労感が漂う川崎Fを仕留めきれず、今季初の無得点で試合が終わった。ベンチの長谷川健太監督(44)は口を一文字に結び天を仰いだ。公式会見に神妙な面持ちで現れると「エスパルスを長年こよなく愛してくれた大場健司に、この場を借りて心よりお悔やみを申し上げたいと思います」と言った。亡くなる前日も、三保の練習場で取材していた大場さんは24日、大動脈瘤(りゅう)破裂のため亡くなった。年齢の近い長谷川監督をデビュー当時から知る記者だった。

 選手たちも思いは同じだった。選手会の意向で、この日は全員が喪章を着けてピッチを走り回った。兵働主将は「『大場さんのために』ってやったら、きっと怒る人だと思う。自分たちのやってきたことをやるのが恩返しになると思ってやった」。言葉どおり、序盤から川崎Fを圧倒。中盤のコンビネーションで相手を翻ろうし、何度も決定機をつくった。シュートも今季最多タイの13本を放った。だが、最後まで得点は奪えず「ダメ出しされそうですね…」とうつむいた。

 大場さんは、雑誌編集長を経て、95年からフリーライターに転身。試合はもちろん、練習も欠かすことなく毎日取材した。運営するサイトでは監督、選手のコメントの意図をくみ取る細かい気配りをみせる一方で、司会したラジオ番組で問題点を指摘したこともあった。たがいに監督、選手、ジャーナリストの立場を守りながら、地域密着を掲げるJリーグと、清水発展に尽力してきたサッカー仲間だった。

 94年のプロ入りから清水一筋16年のMF伊東も動揺を隠さなかった。試合後の取材エリアで「いつも当たり前のように、ここにいた人がいないのは変な感じがする。勝つことが何よりの供養だった」と、言葉を詰まらせた。ただ、負けたわけではない。敵地で最低限の「勝ち点1」を積み上げ、開幕4戦無敗(2勝2分け)で暫定2位。長谷川監督は「大場のためにも今年は勝つ(優勝する)ことが一番。がんばるしかない」。思いは1つ-。クラブ史上初の「年間リーグ制覇」をささげることだけだ。【為田聡史】