北京オリンピック(五輪)開幕まで2カ月あまり、各競技の出場権争いも年末年始に向けてさらに激しくなる。フィギュアやスピードのスケート、スキーのジャンプやスノーボード…、日本勢の活躍が今から楽しみになる。

今夏行われた東京五輪は無観客での開催だった。北京も海外からの観客は受け入れないが、国内の観客は受け入れる方向だという。詳細こそ決まっていないものの、観客がいれば東京以上に「五輪らしい」雰囲気になるのではないかと期待も膨らむ。

そんな「祝祭ムード」を吹き飛ばすように連日話題にあがるのが「外交的ボイコット」。中国政府の新疆ウイグル自治区における人権侵害や香港での民主化弾圧に抗議するもので、選手団は派遣するが開会式など式典に政府関係者は送らないというものだ。

18日に米バイデン大統領が「検討している」とすると、英国やオーストラリアも検討中であることが明らかになった。すでに、7月には欧州連合(EU)が中国の政府代表への招待を断るように加盟国に求める決議を採択している。

日本は24日に自民党の高市早苗政調会長が「日本独自に判断すべき」と発言。25日には林芳正外相が「適切な時期に諸般の事情を総合的に勘案して判断する」と話した。日中関係とともに、米英などの判断も影響してくるのだろう。

思い出すのは1980年モスクワ五輪の「ボイコット」だ。ソ連のアフガン侵攻に抗議して米国など西側諸国が不参加を決断。日本も選手団派遣をとりやめた。

テレビや新聞では柔道の山下泰裕選手やレスリングの高田裕司選手が涙ながらに訴えた。多くの選手の夢が消えた。日本スポーツ界にとって忘れることはできない「負」の歴史だ。

ただ、今回は選手団派遣を取りやめるという話には発展していない。ボイコットするのは「外交的」にだけで、選手たちの活躍の場は奪われない。もちろん、選手団派遣取りやめという強硬意見も一部にないわけではないが、モスクワ大会と同じようなことが起きるとは考えられない。

個人的には開会式のVIP席に各国首脳が並ぶのには違和感がある。大会はアスリートのものだし、主役もアスリートであるべき。スタンドに広大なVIPスペースをとるなら、その分観客席を増やせばいい。少しのVIPが欠席をすれば、多くの子どもたちを招待できる。

東京五輪の開会式に出席した各国関係者は、過去の大会に比べても格段に少なかった。新型コロナウイルスの感染拡大に配慮し、出席を断念した国が多かったためだ。

「外交的ボイコット」には、複雑な政治的思惑が絡むという。各国とも判断に迷っているのだ。中国側も「五輪の政治利用になる」と反発している。ならば新型コロナの感染拡大を理由に開会式を欠席すればいいのにとも思う。

確かに、人権問題を抱える中国が世界中のVIPを招いて「国威発揚」する開会式は見たくない。見たいのは世界のトップを争うアスリートたちで、その躍動を通じて感動したい。

「五輪外交」がすべて必要ないとは言わない。五輪の理念は世界平和。そのための「外交」なら歓迎されるべきなのかもしれない。ただ、各国にどんな事情があろうとも選手が競技に集中できる環境は整えてほしい。ただでさえ、新型コロナ禍の特殊な状況。雑音はなるべく、少ない方がいいにきまっている。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)