<爲末大学:インターハイ編(1)>

 私の人生で初めてのインターハイは、高校3年生の時、炎天下の山梨で行われた。昼すぎからの雷雨が競技開始に合わせたかのように上がり、その中でスタートとなった男子の400メートル。トップでゴールを切り、高校新記録だったことが分かると、言いようのない達成感に包まれたのを今でも覚えている。

 高校生にとってインターハイはとても大きな目標だ。私も高校時代、インターハイで勝つことが自分の人生のすべてだと思っていた。ところが高校1年生、2年生とケガで出場を見送ってしまい、最後の挑戦だった高校3年生の大会で優勝した。その時、スタート前に緊張のあまり、自分の靴ひもが結べなかった。

 なぜインターハイはあれほど高校生にとって大きいのか。人生でたった3年間しかチャレンジできないという時間制限が大きいのではないか、と私は思っている。インターハイの各競技を見ていると、決勝の戦いはもちろんだけれど、予選の戦いに目がいく。集団から遅れながらも一生懸命走っているランナー。負けがほぼ決まっている中で、懸命に力を出し切ろうとするバスケットボールチーム。どの高校生の姿も胸を打つ。

 選手もある程度の経験から、負けを察する差というものが分かる。プロの世界である程度の年齢であれば、そこで無理をしたりはしない。プロ野球でアウトと分かるタイミングで毎回一塁ベースに全力疾走していたら、ケガのリスクも高くなる。プロの世界には明日があるからだ。

 多くの高校生にとってインターハイは最後の舞台であることが多い。そして最後の舞台の時には、人間は勝敗うんぬんよりも自分が精いっぱい力を出し切れたかどうか、本当に自分は限界に挑めたかどうかの方が気になる。悔いが残らないように、思いっきりプレーできるように。それがインターハイに出場する選手の共通の願いだろう。

 人生は長い。その長い人生の中で、どこかの瞬間に思いっきり何かに挑んで力を使い切った経験というのはとても大きな宝になる。栄光は大して自信にはならない。苦しい時、逃げずに思いっきり挑んだことが、その後に確かな自信となっていく。

 今年の夏も暑い。きっとたくさんのドラマが生まれることだと思う。(為末大)