プレーバック日刊スポーツ! 過去の2月26日付紙面を振り返ります。1994年の3面は、リレハンメル五輪ジャンプ個人ノーマルヒルで5位に終わった葛西紀明でした。

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<リレハンメル五輪:ジャンプ>◇1994年2月26日◇個人ノーマルヒル

 メダルまであと1メートル。期待のジャンプ・ノーマルヒル(K点90メートル、個人戦)で葛西紀明(21=地崎工業)が、3位との差がわずか1・5点の5位となってメダルを逸した。また、西方仁也(25=雪印乳業)が8位入賞、岡部孝信(23=たくぎん)は入賞に一歩及ばず9位、原田雅彦(25=雪印乳業)は2本目に失敗して55位に終わった。優勝は100メートルジャンプを連発した地元のエスペン・ブレーデセン(ノルウェー)だった。

 終わってみれば、5位葛西と3位トーマ(ドイツ)の差は、1・5点しかなかった。ノーマルヒルの1メートルは、2・0点。あと1メートル飛んでいれば、銅メダルが葛西の手に入っていた。「もう2メートルでしたか。もう2メートルでメダルを取れたと思うんですけど」。試合を終わった葛西は、数字を1メートル勘違いしながら、悔しさをにじませた。

 しかし、表情は明るい。1本目は会心のジャンプで、K点を8メートルオーバーする98メートルで3位。2本目も「緊張していたんでしょうね。力が入りました」という精神状態で93メートル。決して失敗ではない。「大観衆の中で自分のジャンプができた。(不得意の)ノーマルヒルでここまでできた」という満足感の方がはるかに大きい。5位は、オリンピック、世界選手権を通して、自己最高(団体を除く)の成績だった。

 「葛西の5位は、たいしたもの。とうとう葛西がやりましたよ」と、兄貴分の原田が葛西を褒め上げた。「(葛西は精神的に)混乱しないでゲームをやれた。いいステップになるでしょう。1メートルは欲しいときには、飛べないものですよ」と笠谷昌生ジャンプ部長。大試合に弱いといったジンクスがあったエースが、突破口を見いだしたオリンピックだった。

 最後のチャンスで優勝をつかんだブレーデセンを「(2本目)僕が飛び終わった時点で、勝ってもらいたかった」と祝福。地元大観衆の喝さいを浴びるよきライバルをまぶしそうに見つめた。

 4年後の長野の団体戦では、葛西自身がブレーデセンの立場になる。試合以外にも戦う敵が出て来るのが五輪だ。それでも葛西は、「3強はかなり努力したんでしょうね。それが大きな舞台でわかりました」と言う。「ミラクルジャンプを2本そろえなければ勝てない」(小野ヘッドコーチ)というのが、世界の現状。実力プラス強じんな精神力が金を呼ぶ。葛西は4年後、「もちろん表彰台の一番上にいます」と言って、リレハンメルのジャンプ競技場を後にした。

◆葛西紀明(かさい・のりあき) 1972年(昭47)6月6日、北海道上川郡下川町生まれの21歳。身長175センチ、体重62キロ。競技は8歳から。93年W杯総合3位、93年世界選手権ラージヒル7位、今季W杯は1勝。現在総合3位。父利紀さん(52=自営業)母幸子さん(45)姉浜谷紀子さん(25)妹久美子さん(16)。

◆ジャンプ個人ノーマルヒル◆

(1)ブレーデセン(ノルウェー)100.5メートル104.0メートル

(2)オーテセン (ノルウェー)102.5メートル 98.0メートル

(3)トーマ (ドイツ) 98.5メートル102.5メートル

(4)バイスフロク (ドイツ) 98.0メートル 96.5メートル

(5)葛西紀明 (地崎工業) 98.0メートル 93.0メートル

(8)西方仁也 (雪印乳業) 99.0メートル 94.0メートル

(9)岡部孝信 (たくぎん) 95.0メートル 95.5メートル

(55)原田雅彦 (雪印乳業) 92.0メートル 54.5メートル

※記録と表記は当時のもの