現在の国立競技場では最後となる「早明戦」が今日1日、行われる。関東大学ラグビー対抗戦の最終節、早大対明大は1923年(大12)に始まった伝統の一戦。73年から国立を舞台に移した。19年ラグビーW杯、20年東京五輪に向けて建て替えるため、国立は来年取り壊される予定。前日の11月30日、歴史を知る人たちは過去の激戦を懐かしみ、学生たちは未来の早明戦の青写真を描いた。数々の名勝負を生んだ国立には、さまざまな世代の思いがある。

 すり鉢状の観客席でぶつかり合う「メイジ!」「ワセダ!」の大応援。毎年12月第1日曜日の国立競技場の風物詩がラストを迎える。国立での最多観客試合、6万6999人を記録したのも81年の早明戦。NHKで全国放送され、大学スポーツの枠を超えたビッグイベントだ。

 関東ラグビーフットボール協会の事務局で元レフェリーの冨沢政雄さん(74)は早明戦の歴史を懐かしそうに振り返る。87年「雪の早明戦」。朝9時に協会役員、レフェリー、学生が集まり、雪かきをした。「スコップ持って、北国出身者からコツを聞いてやりましたよ」。昔は、隣接する明治公園に学生の徹夜組が並んだ。テントを張り、マージャンを持ち込む学生もいた。「落ち葉を集めてたき火をする学生がいてね。危ないから注意したんだ」。

 現在レフェリーを務める日本航空副操縦士の三宅渉さん(41)は「国立は楕円(だえん)形のスタンドで、声援が渦巻く。もし、自分が笛を吹くことになったら、何万人もが私の左右の腕に注目する。いつかやってみたい」と審判にとっても夢の舞台だ。

 伝統の一戦を満員にする目的で今夏、結成した学生主体のプロジェクト「国立をホームにしよう」メンバーも11月30日夜まで奮闘した。試合前のラグビー体験や、被災地福島の子どもたちが選手とともに入場する企画、さらには歌手松任谷由実(59)が「ノーサイド」を歌う企画など、集客のために奔走。全ては早明戦のともしびを消さないためだった。同メンバーで明大ラグビー部の中尾巧さん(3年)は「この早明戦を新国立ができたときにまた戻って来る、きっかけにしたい」。

 前売り券約3万5000枚が売れており、協会関係者は「十数年ぶりの勢い」と話す。中学生以下は無料のため満員の5万4224人も夢ではない。冨沢さんも「『早明戦は大観衆を集められる』と証明すれば、新国立での開催も見えてくる」。エンジと紫紺のジャージーが未来の早明戦へ向け今日、ぶつかり合う。【三須一紀】