ラグビーの名門神戸製鋼が復活優勝を果たした。日刊スポーツでは「神鋼のキセキ」と題して2回連載します。

日本選手権7連覇を達成した2日後の95年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。被災したチームは不屈の闘志でよみがえった。第1回はOBで元日本代表CTB元木由記雄(47=現京産大ヘッドコーチ)の証言から低迷期を振り返ります。

こんなはずはない。チームにいる誰もがそう思っていた。TL元年の03年度に頂点に立って以降は中位をさまよい、優勝争いにすら加われなくなった。7連覇の最終年となる94年春に入社した元木は、現役生活の晩年をこう振り返る。

「ずっと悩んでいました。歯がゆかった。平尾さん、大八木さんらがV7まで築き上げて、我々も優勝は経験しましたが表面上だけ。どれだけの苦労でV7があったのか、分かっていなかった。V7戦士が抜けた後に、厳しいことをやる文化がチームになくなった」

04年度から10年度まで、最高成績は08年度のTL4位。震災後に新入部員を減らしたことが影響し、OBの1人は「この時期は30歳前後の中心選手が育たなかった」と漏らす。7連覇後に京産大から入社し日本代表で不動のWTBだった大畑大介も06、07年と2度もアキレスけん断裂。ピッチ上には軸になる選手がいなくなった。10年春に元木が引退すると、大畑も11年にユニホームを脱いだ。かつての常勝軍団という名にあぐらをかき、勝てなくなってからも、それを認めたくない選手たち。当時を思い出すと元木の表情は曇る。

「輝いていた頃の神戸の華麗さばかりに目がいきすぎていた。本当の神戸は日本一泥臭いチーム。その土台の上に、美しさがあった。そこをはき違えて、7~8割の力でやる試合がここ10数年続いていた」

ただ、元木の目には今季、ある光が見えていた。「今までと変わったのは、当然のようにハードワークをするようになったこと。そこにカーターら、いい外国人選手も入った。泥臭さを取り戻した上で、1歩先の最先端のことをしている。この強さは、続く可能性があると思う」。(敬称略)【益子浩一】