<中村美里(なかむら・みさと)はこんな人>

 ◆プロフィル

 1989年(平元)4月28日、東京都八王子市生まれ。相原中-渋谷教育渋谷高を経て、08年4月に三井住友海上に入社。家族は父一夫さん、母美智代さん、兄雄大さん。157センチ、52キロ。

 ◆柔道との出会い

 小学3年の時。ピアノを習っていたが、友人と「空手をやりたい」と話し、道場巡り。母から「空手は危ない」と言われ、柔道の道場へ。

 ◆スポーツ万能

 柔道と並行して、兄の所属していた野球チームに所属し、セカンドやレフトを守っていた。ちなみに兄は桜美林高から東海大に進み野球部に所属。

 ◆口べた

 人前で話すことは苦手。いまだに「緊張します」と苦笑いする。会社の業務でも「なるべく外からの電話には出ないようにしてます(笑い)」。

 ◆10代メダリスト

 08年8月の北京五輪で19歳で銅メダルを獲得。日本初の平成生まれメダリストとなった。夏季五輪の個人種目での10代のメダリストは中村で21人目。柔道では16歳で92年バルセロナ大会銀メダルを獲得した田村亮子に続き2人目。日本最年少はバルセロナ五輪競泳女子平泳ぎ金メダルの岩崎恭子の14歳6日(岩崎は団体競技を含めても最年少)。男子の最年少は32年ロサンゼルス大会競泳男子1500メートル自由形金メダルの北村久寿雄の14歳10カ月。団体種目では84年ロサンゼルス大会女子バレーボールの中田久美が18歳11カ月で銅メダル、88年ソウル大会体操男子団体総合で西川大輔が18歳2カ月で銅メダルを獲得している。

 ◆夢はパティシエだった

 幼稚園時代から中村の遊び相手は2歳上の兄雄大さんや近所の男の子だった。母美智代さんは「ズボンばかりだったので、小学校に入学する時に女の子らしくなるかなと思って、スカートを買ってあげた。でもダメでした」と振り返る。

 ピアノも習っていたが、小学3年の時に「K-1が格好いい。空手が習いたい」と道場を探し回った。「打撃系」は母に反対され、結局落ち着いたのが柔道だった。兄と同じ野球チームにも所属していた。「野球でもゲームでも負けるのは大嫌いだった」(中村)。

 中学時代は東京の自宅から柔道の強豪、神奈川県相模原市の相原中に越境入学。寮生活を送った。自宅から通学した高校時代は減量の苦しさを紛らわすために、自宅でクッキーを焼いて家族に振る舞った。父一夫さんは「案外、おいしいよ。オレたちは毒味役だけどね」と笑う。

 若者の街渋谷の高校に通っていた当時は、部活の後は「カラオケに行ったり、プリクラを撮ったり」と今どきの女子高生。ファンだった元プロ格闘家の須藤元気氏が結婚した時には「少しショックでした」。

 母美智代さんは「最近までパティシエになりたいと話してたんですよ。お菓子作りが好きだから」。