担当球団替えに伴い、ロッテ佐々木朗希投手(21)を追う旅がひとまず終わる。大船渡高時代には総移動距離約2.5万キロにわたって追い掛けた。プロ入り後はもう計算もしていない。生で見たのは約4年間で33試合、合計3628球。そろそろ高校時代の相棒、及川恵介捕手(東北学院大3年)に並んだり、抜いたりしているかもしれない。

私が思うベストピッチはいまだに、初めて取材した19年3月31日の練習試合・作新学院(栃木)戦だ。ベストボールはその数日前。千葉・富津の浅間山運動公園にあるブルペンで見た初マウンド。捕手役の同級生がおびえながらミットを球威で持っていかれた球が、記憶にこびりつく。完全試合を目撃してもなお「初めて」の衝撃に勝るものはない。そんな投手だ。

希代の才能を追い掛ける過程で、洞察力のすごさをずっと感じてきた。私は取材現場で、報道陣で群れ続けるのがあまり好きではない。練習も時間を見つけ、1人で目立たない場所で見るようにした。時には木々の茂みの合間からこっそり、球筋などを見たこともある。そういう時こそなぜか不思議と、佐々木と目が合う。

こんな話も耳にした。私が公休だった日に、井口監督(当時)のオンライン取材が行われた。偶然その場を通り過ぎた佐々木が、5秒ほど画面に登場した。映っているのは10数人から20人近い、各社の記者。日刊スポーツも私の代わりに別の記者が参加していた。佐々木は画面から目を離すと「日刊、担当変わったんですか?」と関係者に問いかけたのだという。

18歳、19歳にして、多くの大人たちから一挙手一投足を見られる、撮られる。プレッシャーも警戒心も半端なものではないだろう。一方で、この記事序盤で書いた「ベストボール」をスマホ動画で撮影したものを佐々木に示すと、私のスマホをひょいと受け取ってじーっと凝視し「この時のフォームが一番いいですね」と笑ったりもする。球史に残る逸材とはいえ、まだ多感な青春期。コメントが渋い時もあれば、確実にウケ狙いでつぶやく時も。いろいろな表情があるのも、また魅力的、もっといえば“神秘的”だった。

完璧主義、ストイック、と周囲は言う。マウンドにいるからか、孤高の存在に見えることもある。だからこそ、先日の報道写真展での「僕だけよりも、チームメートと撮られているほうがうれしいなと思います」という言葉は響いた。学生時代から、周りを気にかけつつ、類いまれな才能を伸ばしてきた。

どこまでの投手になり、それを支える思考はどこまで深いものになっていくのか。「なぜ岩手から続々と怪物が?」も含め、多くのナゾが解けぬまま。今後もこっそりと注視していきたい若者だ。

ロッテと同じくらい、もしかしたらそれ以上に佐々木朗希を追い掛けていたかもしれない西武ライオンズの取材を、年明けから担当します。千葉ロッテ関係者の皆様、ファンの皆様。3年間お世話になりました。ありがとうございました。【ロッテ担当 金子真仁】