ヤクルトの人気マスコットつば九郎が、あと2試合で主催2000試合出場を達成する。94年のデビューから28年。活動初期の苦労話やブレークのきっかけ、選手や監督との秘話などをインタビューで振り返ってもらった。前“鳥”未到の大記録には、順当にいけば8月3日中日戦(神宮)で到達予定。「つば九郎2000試合出場かうんとだうん」として特集する。

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ふてぶてしくも愛らしい大きな燕が、大きな節目を目前に心境を明かした。

つば九郎 1500まではながくかんじたけど、1500から2000しあいまでは、あっというま。のうこうせっしょくになって「れんぞく」がとぎれて、しょうじき、てんしょんさがったけど、うれしい!!

4月、新型コロナに感染した球団関係者と濃厚接触疑いのため3試合を欠場。連続2000試合とはならなかったが、大記録に変わりはない。

今や球界屈指の人気キャラも活動初期は手探り状態。当時は古田、池山、広沢らスターぞろい。チームは何もしなくても人気があり、選手にどう絡んでいいか誰も教えてくれなかった。

つば九郎 なにやっていいかわからないし、たちいちもわからない。なにもしないでおこられた。「もっとめだて!」とか。いまはめだちすぎだっておこられちゃうけど。

マスコットといえば巨人のジャビットか阪神のトラッキーという時代。認知度アップのきっかけになったのが、01年から加入したアレックス・ラミレスとのパフォーマンスだという。

つば九郎 らみちゃんのおかげ。ほーむらんうつと「あい~ん」→「げっつ!!」。てれび、しんぶんをみても、そういうえがおおおくなってきたな~って。

志村けんの「アイーン」に始まり、ダンディ坂野の「ゲッツ!」、加藤茶をアレンジした「ラミちゃん、ペッ」、大木こだま・ひびきの「チッチキチー」など、年々バージョンアップするパフォーマンスに対応するには苦労もあった。

つば九郎 あれ、めんどくさい。よけいなものたすんで。「ふえたぞ」っていわれてもながれがあるし。20びょうくらいやってて、これだめじゃね? って。1かい、しゅしんに「ながい」って、おこられた。

同じ94年デビューの中日ドアラの大ブレークも、飛躍のきっかけとした。

つば九郎 どあらに、びんじょうした。どあらがほん(ドアラのひみつ)をだしたので、おなじていすとのほん(つば九郎のおなか)をだしたり。でも、ばっくてんできないのはしょうがない。やれっていわれても「やんねーよ」って、ぎゃくぎれするだけ。

近年はクリスマス時期にディナーショーで共演。チケットは即日完売という人気コンビだ。

つば九郎 ことしのおふも、いろいろきかくだんかい。ぜんこくつあーできるようになれば。「しーずんおふがぼくたちのしーずんいん」があいことば。

人気も知名度も徐々に上昇。仕事もすっかり慣れてきたが、調子に乗りすぎて? 失敗談も多数ある。

つば九郎 ちほうにいくと、どうしてもぱとろーるがこくなる。おさけのにおいぷんぷんさせてきゅうじょういくと、しあいまえのせれもにーで、からだからでてきてにおいがまっくす。しきゅうしきのこどもが「なんかくさ~い!! つばくろうじゃない?」って。野村監督時代から、多くの監督、選手らと交流してきた。特に思い出深い人物や出来事を聞いてみた。【鈴木正章】

(つづく)

03年10月、広島戦で40号本塁打を放ちベンチ前でお得意のポーズを披露するラミレス
03年10月、広島戦で40号本塁打を放ちベンチ前でお得意のポーズを披露するラミレス