今年4月に完全試合を達成したロッテ佐々木朗希投手(20)が、岩手・大船渡高の最速163キロ右腕として国内外の注目を集め始めてから3年になる。希代の才能と交わった若者たちは今、何を思うか。それぞれを訪ねた。

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村上泰宗さん(20)は海と寄り添っている。佐々木は東日本大震災で父らを亡くした。大船渡高野球部でチームメートだった村上さんも、父寛昭さん(当時42)らを失っている。

「休みの日は家にいる感じの人で。手先が器用で、小学校の時の夏休みの工作はいつも手伝ってもらっていました」

歳月を経て、じわじわと明確になっていく現実。「男って、父親と趣味が似たりするじゃないですか。友達のそういうのを見てるとうらやましいなとか」。珍しく草野球や釣りに出かけた姿を思い出すと、寂しくなったりもした。

ロッテ佐々木朗の大船渡高時代のチームメート村上泰宗さん
ロッテ佐々木朗の大船渡高時代のチームメート村上泰宗さん

小学校で転機が訪れた。専門家が訪れ、教師たちが十分なケアをした上で「地震と津波について」の授業が行われた。クラス内にその授業で泣く子はいなかった。村上さんはむしろ、食い入るように授業を聞いていた。「地震も津波も、仕組みがちゃんとあって起きてるんだなと」。こんな世界もあるんだ-。

もともと海とは縁があった。母の仕事の関係で、家には貝殻が多く飾られていた。高校最後の夏は背番号がもらえず、応援に熱を入れ、引退すると受験に備えた。北里大を志願。海洋生物を学びたかった。

3年生。専門的な実験や実習も増えてきた。ホヤの解剖は、遠い記憶を呼び起こしてくれた。

「小さい時に家族で仙台の水族館へ行ったんですよ。そこでホヤのタッチプールがあって、飼育員の人に『ホヤは左右にプラスとマイナスの突起があって、プラスから海水を入れてマイナスから老廃物が出るんだよ』って教わったんです。小さい頃って訳分かんないこと、覚えてるじゃないですか。僕もそれをずっと覚えてて、いきなり先生が実験でそれを話して」

野球仲間たちとは、地元陸前高田のカキ養殖現場で一緒にアルバイトをした時期もある。海には苦しい思い出もあるけれど、自分は海の世界で生きたい-。「岩手や東北の水族館とか、生き物を扱える仕事に就けたら面白いなと思っています」と未来図を描く。

「ちゃんと思ったことを言える人間になりたいです」とも口にする。

「上京して、周りの人に震災をいじられたような時があって。でも強く言い返せなくて。嫌なことされた時に嫌って言えないのは、あまりいいことではないと思うので」

悩める青年に「そんなの友達か!?」とスパッと言ったのも、高校時代のチームメートだった。海も友も、あったかい。【金子真仁】