日本で行われたWBCの1次ラウンドC組が終了した。大会は第6回を迎え、国際色が豊かになると同時に、野球が社会と不可分ではないという現実も示した。チェコのパベル・ハジム監督(54)は大会中、戦争や革命、天災にも思いをはせた。欧州の中央部に位置する国の指揮官が、東日本大震災が起きた3月11日の意味を知る。両国の交流を紹介する。
前回大会で日本とチェコが初めて戦った日は、23年3月11日だった。「TSUNAMI FUKUSHIMA」。周りに海のないチェコの監督が、東日本大震災で起きた津波、原発事故があった福島を自ら口にした。
「3年前、あの日が日本にとっていかに重要な日か、佐々木朗希投手にとっていかに重要な日かを聞きました。私たちはそれに敬意を表していますし、また同じ時期に試合をすることが、信じられない気持ちです」
佐々木が父を亡くしたことも、心に刻まれている。
チェコにとっても23年以降、3・11は大きな意味を持つ日になった。2回まで日本をリード。普段は電気技師のサトリア投手が、世界最高の選手である大谷翔平から三振を奪い世界中に打電された。マルチン・クルチャル駐日チェコ大使は言う。「日本では、あれから『野球のチェコですね』と言われるようになりました」。どんなプロモーション活動よりも、1試合が知名度、認知度を上げた。
チェコテレビジョンの記者によると、この試合は約1000万人の国民のうち、約100万人が視聴したという。サッカー、アイスホッケーが人気で、野球は「15~20番目だと思う」というマイナースポーツだが、それほど衝撃的だった。25年には欧州選手権で、初めて3位に入った。注目度は格段に成長。今大会の初戦、韓国戦はチェコ国内で深夜の午前3~4時に放映されたが、平均約7万人が視聴した。明らかに野球熱が高まっている。
国際大会に参加する意義は、誰よりもハジム監督が痛感している。3連敗で1次ラウンド敗退が決まった台湾戦後、しみじみと語った。「国同士の競争だとしても、野球は戦争ではない。この3試合を私たちは楽しんだ。大勢の観客の前でプレーすることは喜びです」。勝敗よりも大事なのは、平和に、安全に、ルールの中で試合ができることだと感じている。
韓国戦後には、スタンドに礼をする意味を説明した。「日本では感謝を示す時に礼をする文化がある」と話した後「我々を応援するためチェコから来日した人々は(中東の)ドバイを経由してきた。だが、戦争で足止めされたので、より多くの時間がかかった。その大変さに感謝を示したかった」。米国のイラン攻撃によって、思わぬ余波を受けていた。
チェコは第2次世界大戦後、スロバキアとともに1国として共産主義政権となった。1989年の「ビロード革命」で体制が崩壊。その後、自由選挙が行われ、スロバキアと分離した。ハジム監督の背番号「89」は、日本の栗山英樹前監督への敬意とともに、民主化革命を示す意味も込められている。「89」が「やきゅう」と発音できることも理解しているという。
4月にはロッテでNPB通算260盗塁の荻野貴司が、チェコリーグの強豪「ドラチ・ブルノ」に入団する。「新しい国で野球を見てみたかった。人生経験を上げたい」。9月までの半年間だがプロ契約。妻子を連れて行くという。きっかけは前回WBC。エスカラが佐々木から死球を受けたことをきっかけに、ロッテとチェコの交流が開始。日本人の田久保賢植コーチが仲介し、移籍が決まった。これまでフルプの巨人、パディシャークのオイシックス入りはあったが、逆方向の流れも活発化しそうだ。
WBCは野球の世界普及を目的に始まった。日本とチェコのように、野球をきっかけに、歴史を知り合う交流は望ましい展開だ。【斎藤直樹】
◆チェコ共和国 1993年、共産主義国家だったチェコスロバキアが革命により解体され、チェコとスロバキアに分かれて独立した。首都はプラハ。面積は7万8866平方キロメートルで、人口は約1090万人。公用語はチェコ語。自動車産業や観光業などが主要で、ビールやボヘミアングラスが名産。スポーツはアイスホッケー、サッカー、野球などが人気。23年からペトル・パベル大統領。
◆23年WBCの日本-チェコ戦 3月11日(東京ドーム)に対戦し、日本が10-2で快勝。0-1の3回に吉田の2点二塁打と山田の適時打で逆転。4回にもヌートバー、近藤、大谷の3連続適時打などで4点を挙げて突き放した。先発の佐々木朗は4回途中1失点8奪三振と好投。宇田川-宮城とつないでチェコに流れを渡さず、日本は3連勝とした。









