平成の中期以降、レガシーという言葉の解釈に幅が出てきた。「遺産」ではなく「後世まで評価されるべきモノ」に敬意を表して使う場合が増えた。キャンプも終盤、球界のレガシーを考証する。

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横浜にいつもの光景が帰ってきた。打撃ケージの後ろに陣取った田代富雄(64)が、じっと選手を見つめていた。まなざしの先に、背番号「25」。フリー打撃が終わり、歩み寄ってくる筒香に言葉をかけた。「ゴウ、今日のはいいなぁ。俺は今日のが好きだな」。

打撃の重心移動を変えていたのに気づいていた。主砲の表情がパッと明るくなった。「分かります? 田代さんにそう言ってもらえると、今日はうまい酒が飲めますよ」。ほんの少しの言葉をかけ、細かい指導はしない。変わらない田代流の指導だ。

武骨で温かい、昭和のにおいが漂う。定位置は打撃ケージの裏。評論家が来ても話はそこそこに、じっと選手を見る。「俺は不器用だからよ。見てないと分からなくなっちまうんだ。だから、見てる。あれだな、高倉健さんだな。『不器用ですから』ってな」。冗談を飛ばしながら、気づいたことを手帳に書き込む。それでも選手への助言は短い。「プロなんだから、ああだこうだ言われたらうるさいだろ。皆、考えてやってる。俺は気づいたことを言うだけで、後は本人の自由」。

信念がある。「筋を通さなきゃ、誰もついてこない。適当なことをやったら、簡単に見抜かれる。だからとにかくメモを取るんだよ」。日々の指導や選手の変化を刻み、いつ、どんな言葉で、どんな風に言ったかを記憶する。「言うことがコロコロ変わるやつは信用ならねえ。俺も現役の時に嫌というほど見てきた。そうなりたくないだけなんだよ。コーチからしたら選手は何十人もいるけど、選手からコーチは1人だけ。適当なことは言えない」。

もし、間違いだと思ったら「○月○日に、こう言ったけど、もしかしたら違うかもしれない。すまん。こっちの方を試してみないか」と素直に認める。だからこそ、言葉に重みとぬくもりが乗る。

現役時代は大洋一筋。引退後は横浜の2軍監督などで村田、内川、多村、金城らを育て上げた。もちろん、ユニホームを脱ぐ選手もたくさん見てきた。「俺も現役時代は干されたこともある。『報われない努力もある』って厳しさも感じた。だから、後悔しないように野球をやってもらいたい。そのために男として恥ずかしくない生き方だな。しがみつかない。筋を通す。後は一生懸命やる。それでダメなら、しょうがねえだろ」とカラリと笑う。

寄り添い、見守り、愚痴は言わない。だからこそ選手は大きく育つ。今、期待するのは3年目の細川。愛情深いまなざしが、今日もグラウンドに注がれている。(敬称略)【島根純】

◆田代富雄(たしろ・とみお)1954年(昭29)7月9日、神奈川県生まれ。藤沢商から72年ドラフト3位で大洋(現DeNA)入団。76年から長距離砲の内野手として活躍。77年に5試合連続本塁打、79年開幕戦で3発、91年引退試合で満塁本塁打。通算1526試合、1321安打、278本塁打、867打点、打率2割6分6厘。解説者を経て97年2軍打撃コーチで横浜復帰。1軍打撃コーチなどを務め、07年から2軍監督。09年は5月19日から閉幕まで、横浜大矢監督の代行を務めた。10年に2軍監督に復帰。11年韓国SK、12~15年楽天、16~18年巨人でコーチを務め、今季からDeNAチーフ打撃コーチ。184センチ、90キロ。愛称はオバQ。右投げ右打ち。