平成の記録を不定期で振り返る最終回は、高校野球を取り上げます。12年松井裕樹(桐光学園2年=現楽天)の1試合22奪三振と、17年中村奨成(広陵3年=現広島)の大会6本塁打は、夏の全国大会で生まれた不滅の記録になりました。

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100年以上続く高校野球の歴史の中で、史上に残る投打の大記録が平成時代に生まれた。投手部門では松井の1試合22奪三振が断然光る。

12年8月、今治西戦で桐光学園・松井は末広から22個目の三振を奪う
12年8月、今治西戦で桐光学園・松井は末広から22個目の三振を奪う

1試合(延長戦を除く)の奪三振は、センバツで3人が20個以上をマークしている。63年戸田善紀(PL学園)が21個、73年江川卓(作新学院)と07年大田阿斗里(帝京)が各20個。実戦から遠ざかる春は打者の感覚が鈍り、投手優位とされる。打線の完成度が上がり、投手もへばる夏に20個以上を量産するのは至難の域だった。

夏の甲子園・最多奪三振
夏の甲子園・最多奪三振

夏の全国大会では大正、昭和時代に誰も20個の大台に届いていない。12年夏、松井が今治西戦でついに壁を破った。大会新の10者連続を記録するなど、従来の大会記録(19個=5人)を3個上回る22奪三振。打球がほとんど飛ばず、桐光学園の三塁手と左翼手には守備機会が1度もなかった。

打者では中村の1大会6本塁打が記憶に新しい。清原(PL学園)が85年に5本を打って以来、30年以上も並ぶ者さえいなかった。85年清原の5本のうち1本は当時あったラッキーゾーンに入ったもの。今やラッキーゾーンはない。しかも中村は右打者ながら、中京大中京戦で右方向に2本打つ離れ業を見せている。

17年8月、天理戦で広陵の中村は大会6本目の本塁打を放つ
17年8月、天理戦で広陵の中村は大会6本目の本塁打を放つ

中村の新記録は大会6発にとどまらず、17打点、43塁打も大会新。6試合で28打数19安打だった(打率6割7分9厘)。19安打と6二塁打は大会タイ。1試合3安打以上の猛打賞を史上初めて5度記録した。猛打賞は4度のケースも85年佐藤勝実(宇部商)08年浅村栄斗(大阪桐蔭)の2人と少なく、5度を抜くのは難しい。

夏の1大会最多本塁打・新記録の変遷
夏の1大会最多本塁打・新記録の変遷

昨年11月、米大リーグ公式サイトで「破られそうもない記録」が特集され、04年イチロー(マリナーズ)のシーズン262安打が最初に挙げられた。甲子園版のアンタッチャブルレコード(不滅の記録)を挙げるなら、1試合22奪三振と1大会6本塁打は筆頭候補だろう。これに迫る怪物が新時代の令和に登場するか。伝説記録の話題はいつの時代も尽きることがない。【織田健途】