さまざまな元球児の高校時代に迫る連載「追憶シリーズ」。第23弾は、広瀬叔功さん(81)の登場です。

 広瀬さんが高校時代に通ったのは、決して野球強豪校ではない大竹高(広島)でした。甲子園とも縁がありませんでした。しかし、のちに南海(現ソフトバンク)で通算2157安打を放ち、歴代2位の596盗塁を記録する名選手へと駆け上がっていきます。

 破天荒なエピソードも満載だった広瀬さんの高校時代を全7回でお送りします。

 11月14日から20日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。

 ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。


取材後記

 広瀬さんはよく笑う。マツダスタジアムの記者席でも、顔見知りといつも談笑している。今回の取材でもそうだった。ご自宅におじゃまし、2時間ほど話を聞いた。高校時代の友人を紹介してくださいとお願いすると、その場で電話して集合場所を決め、車で連れて行ってくれた。喫茶店で取材させてもらったが、その間も2人の友人と昔話で盛り上がっていた。広瀬さんが思い出話をすると、それに友人がちゃちゃを入れる。その逆もあり。やりとりは聞いていて楽しかった。もちろん、記事に書ける話ではないけれど。

 1955年(昭30)に大竹高を卒業した同窓生と「さんまる会」という同窓会を作っている。今回取材に協力していただいた2人の友人もメンバーだ。今でも月に1回、居酒屋に集まって昔話に花を咲かせるのだという。「この年でそんなの珍しいやろ? お互い遠慮せんとズバズバ言うんや」とまた笑う。

 取材では、高校デビュー戦で、硬球を打ったこともないのにヒットを打ったとか、プロ入り10年目のボーナス欲しさに必死で練習し、首位打者を取ったとか、信じられないようなエピソードがたくさん聞けた。

 ただ、幼いころの原爆体験について話すときだけは、涙声になった。「原爆が落ちたときのことは、今でも鮮明に覚えているんや」。つらい思い出のはずなのに、丁寧に、しっかりと語ってくださった。

 取材の最後に、母校の大竹高に行った。場所は当時とは変わっているが、母校のグラウンドを背景に写真を撮らせてもらった。優しい笑顔だった。

 いつも周囲を明るくする笑顔の裏には、数多くの涙もまた隠されているのだろう。この連載で、そんな広瀬さんの人柄が、少しでも伝わればいいなと思う。【高垣誠】