オフシーズンこそ、クールダウンした心で野球を楽しむ引き出しを増やしてみてはどうか。日刊スポーツ評論家の田村藤夫氏(62)がワンポイントをお伝えする。サインに首を振るシーンから、実は多くの背景が見えてくる。野球を楽しむため、ぜひ参考にしていただきたい。
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プロ野球ファンの皆さんならば、投手が捕手のサインに首を振る場面にシーズンに何度か出くわすのではないか。頻発はしないが、逆に言えば遭遇したら、運が良かったと考えてもいい。比較的に緊迫した状況で、勝敗に直結する重要局面が多い。
9月15日の西武-日本ハム15回戦(メットライフドーム)、日本ハム先発はルーキー右腕・伊藤大海(24)。日本ハム3-2の5回裏2死二塁。打者山川。カウント1-2。103球目に入るところ。捕手はプロ7年目清水優心(25)。
息が合わない。清水のサインに伊藤は何度も首を振った。伊藤は2度、ホームを背にして仕切り直す。勝利投手の権利がかかっている。最終的に、清水のサイン通りか、伊藤の希望が通ったかわからないが、128キロ外寄り変化球はボール。カウント2-2。
2ボールになったことでさらに次の1球の重みが増す。四球で出せば逆転の走者。ゆえに3ボールにはしたくない。次の1球が勝負のボールになる。ここでも再び伊藤は首を振った。そして右手の平を上に、人さし指から小指までをせわしなく動かし手招きした。
私は驚いた。伊藤はルーキー。捕手清水はわずか1つ違いだが年上だ。プロ7年目の先輩を、ルーキーがマウンドに呼び付ける。なかなかお目にかかれない場面だ。伊藤もマウンドを降り、両者はほぼマウンドとホームの中間地点で顔を合わせた。
そして、伊藤は146キロの直球を外角に見事に制球し、山川は空振り三振。伊藤はガッツポーズ。清水は淡々とした顔でベンチに戻る。私の目にはそう映った。さらに清水の心中を察すれば、その顔は情けなさそうに見えた。
おそらく、清水は強心臓の伊藤の振る舞いに腹を立てる気持ちよりも、どうして直球を投げたい伊藤の心理を感じることができなかったのか、この日の球威なら打ち取れると状況判断できなかったのかと、自己反省が強かったように感じる。
投手は打者の得意、不得意よりも、自信のボールを投げたいという気持ちが勝る。それがいい悪いではなく、「投手心理・性質」とはそういうものだと私の経験上考えている。その性質からすると、配球よりも、自信のあるボールへの思いが強くなる。
捕手はそうした投手心理を踏まえて配球、リードする。そこへ導けなかったことを清水は考えたからこそ、淡々とした顔に私には見えたのかもしれない。そして、ここにこそ、バッテリーが成長できる鍵があると私は感じている。
投げたいボールで抑えた伊藤は気持ちがいいだろう。しかし、首を振り、投げたいボールを打たれた時、この2人はさらに先に進むことができる。お互いが何を考えていたのか、打たれたという結果を受け止め、お互いの考えを共有する。そこが非常に重要だ。
例えば、打たれたとする。投手は自分の意見を通して投げて打たれれば納得するだろう。捕手も「だから(違う球種と)言っただろう」とはならない。どうしてそのボールを投手は投げたかったのか、単なる自信からか、その打者には通用する根拠があったのか、そこをまず捕手がヒアリングすることが大切だ。
その上で、投手にも捕手心理を説明する。そこではじめて両者の考え方の違いを、それぞれが理解できる土壌が整っていく。つまり、首を振って、投手が自信あるボールを打たれた時は、成長できるということだ。今回の伊藤-清水のケースでは、結果という素晴らしい成果は得たが、真に2人の信頼関係をつくっていくにはまだ時間がかかると捉えることもできる。
成功、成功ばかりではバッテリーとして学べるものは限られる。打たれたならば投手、捕手ともに現実を認めた上で、次は打たれまいとおのおのの考えをぶつけることができる。
ここまで書いて私にも関連する思い出がよみがえってきた。具体的にいつかは覚えていない。当時、日本ハムには柴田、西崎、松浦、武田、芝草という投手スタッフがそろっていた。柴田さんは年上だったが、私よりも若い先発がほとんど。私のサインに首を振ることはあまりなかった。
ある日、松浦が初回の、それも立ち上がりから首を振る。1回、2回とイニングが進んでも私のサインに首を振るため、私はベンチで「自分でやれ」と突き放した。すると、松浦がマウンドから胸を触ったり、ベルト付近を触ったりしてブロックサインで球種を伝えてくる。私はそれに沿って確認の意味でサインを出し直し、投球を重ねた。
松浦は完封した。
私は松浦と組んだ次の試合も「お前がサインを決めろ」と伝えた。その試合は序盤から打たれた。松浦は「サインを出してください」と言ってきたが、私は「(俺のサインを)信用してないんだろ」と突き放した。それでも「いえ、お願いします」という松浦の申し出に、その後はサインを出したことを覚えている。
今、この原稿を書きながら当時を振り返ると、「実に大人げなかった」と反省している。この原稿の中で失敗を共有して学ぶことの大切さを訴えているが、その私は現役時代、自分のサインに首を振る年下の投手に「自分でサインを出せ」という投げやりな態度を取っていた。
月日がたち、こうして冷静に振り返り、自分の反省を踏まえ、いっそうバッテリー間の議論した上での意見の一致の大切さがわかってくる。そんな経験があるからこそ、首を振る投手に対するいろんな思いが、ひも付けされたようによみがえったのだろう。
そんな経緯があるなら、提言する資格なしというご批判も当然あるだろう。そこを指摘されると、返す言葉もない。苦い経験を掘り起こすことにより、反省を踏まえた上でのアドバイスと、受け止めていただければ幸いだ。
投手が首を振る場面に遭遇したなら、ここが大切な局面であるがゆえ、心理が交錯していると感じてみてはどうか。「このボールを投げたい」と訴える投手。「このボールなら打ち取れる」と、投手と打者の力量を見極める捕手。この両者のせめぎ合いに思いを重ねれば、さらに人間味のある戦いが見えてくる。(日刊スポーツ評論家)