試合後のベンチ裏、八王子学園八王子に敗れた専大付(西東京)の出口健太投手(3年)は、偶然隣を通った日大鶴ケ丘・勝又温史投手(3年)に「頑張ってね」と声を掛けた。「頑張るよ」と力強く答えた勝又の後ろ姿を見ながら、出口は球場から引き揚げた。

 壁を乗り越えた末に、再び運命が重なった。2人は中学時代に狛江ボーイズでチームメートだった。だが、出口は1年の冬に退団。同チームでは食事のトレーニングを課されるが、食の細かった出口にはつらかった。中学の軟式野球部に入部しなおし、専大付に入学した。

 入部直後は、高校野球のレベルの高さに驚かされた。「実力は下の下。3年間続けられないと思った」。競争を勝ち抜くために、すぐにサイドスローへの転向を決断した。「自分の生きる道は、これしかなかった」。2年春にベンチ入りも、夏はベンチ外。秋は背番号「10」の控えだった。

 冬はエース奪取に向け、肉体改造に取り組んだ。昼は弁当箱2~3つに米を詰め込み、夜はラーメン鉢に入れた米をかきこんだ。その成果から、ひと冬で体重は約15キロ増量。球速は120キロから130キロ後半に伸びた。この夏、託されたのは勝又と同じ念願の背番号「1」だった。

 この日は初回に3点を奪われたが、早実を破った八王子学園八王子打線を相手に、2回以降は無失点に抑えた。「楽しもうという気持ちと、努力をしてきたのでそれを出そうと」と話した。高校野球3年間について聞かれ、充実した表情で言った。「つらかったですけど、楽しかったです」。大切な仲間と努力を重ね、上がったマウンドは、最高の場所だった。【久保賢吾】