あの頃が、ありありとよみがえる。勝手知ったる球場だ。大きな音がする扉は、そっと閉める。昌平(埼玉)の黒坂洋介監督(44)は「昔は大会前とか、いつもここでキャンプしたよね。年に3、4回は合宿したかな」と目を細めた。

監督就任以降、3年連続で伊豆志太スタジアムで年末合宿を行う。「やっぱり育った球場で練習納めをするのは感じるものがあるし、選手たちも立派な球場でできますしね」。社会人野球シダックスに在籍した7年間、真っ赤なユニホームを着て、鮮やかな人工芝に汗を落とし続けた。

シダックスでは野村克也氏(84)の下でも2年強、プレーした。「当時は合宿でも朝からいきなり2時間のミーティング。本当に細かいところまで野球を勉強しましたね。それからグラウンドで練習ですよ。戦術とかもガラッと変わって」。不慣れも猛練習で克服し、社会でもまれ、今がある。

懐かしそうに「細かかったな~」と振り返る黒坂監督も、千田泰智主将(2年)に言わせれば「監督さんは相当細かい野球です」だそうだ。「黒坂監督が野村さんから教わったことを、自分たちに教えてくれる。野村さんの教えもつながってきている、ってことだと思います」。伊豆合宿に来る意味を、選手たちも何となく悟っている。

野球人の思いが受け継がれる球場はそもそも、ある人物の地元愛が始まりだった。球場一帯の「中伊豆ワイナリーヒルズ」と呼ばれる高原は、シダックス社の志太勤取締役最高顧問(86)が切り開いた。韮山町(現・伊豆の国市)出身。地元にワイナリーを作るのが夢だった。

ソノマに、ナパ。志太最高顧問は米カリフォルニア州の地名を挙げ、続けた。「サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジの先にある土地。あそこのワイナリーをモデルにしたかったんです」。事業の合間で伊豆各地を巡り、3年近くかけてようやく、現在の場所に決めた。「ここは、理想の場所に非常に似ていた。山だけど、海からの風がサーッて吹いて来るんです。昼と夜の温度差もある。理想の場所でした」。

ワイナリーにレストランやホテルを併設し、スポーツ施設も作った。晴れていればホテル入り口から富士山頂も見える。「韮山で育ちました。朝起きて外に出ると真ん前に富士山がある。雲の様子を見て、1日の天気をだいたい予想する。1日が富士山で始まる、そんな人生です」。ワイナリーヒルズは、志太最高顧問の人生が全て表現されたような場所だ。

「シダックスの野球部もここで汗を流しました。Kボールの中学生大会もこのグラウンドでスタートしました。ルーツというのは本当に大事なものだと、私は思っているんです」。

野球部廃部から13年。球場ネット裏の部屋で黒坂監督から思い出話を聞いていると、ティー打撃をする選手とガラス越しに何度も目が合った。いい振りをしている。

「この子はね、シダックスの当時のチームメートが紹介してくれた人の、教え子なんです。本当に一生懸命頑張れる子で…」。

野球を通じて広がり、受け継がれていく思い。「あの合宿であれだけ頑張れた、そんな自信をつけてほしいし、いい思い出になってほしいですね」。急な獣道を必死の形相で駆け上がる球児たち。いつか、彼らにとってもここがルーツになるのだろう。【金子真仁】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)