「昭和のライバル」2球団が、令和3年の優勝争いを演じている。目下のところパ・リーグVを争っているのがオリックスとロッテだ。同リーグは、73~82年の10年にわたり、2シーズン制を採用していた。同一年に前期と後期の2つのシーズンを戦い、それぞれの優勝球団が日本シリーズ出場を懸けて3勝先取のプレーオフを行った。今季V争いを行う両チームが前後期Vを分け合い、プレーオフで対戦したことが2度ある。オリックスはまだ「阪急ブレーブス」と名乗っていた時代。ロッテのチーム名は「オリオンズ」で、本拠地を持たず全国の球場を転戦していた。

◆74年=前期V阪急、後期Vロッテ

前期だけで54盗塁を重ねた福本豊に引っ張られ、阪急が独走で優勝。ロッテは後期に金田留広、村田兆治、木樽正明の3本柱がフル回転しVを飾った。プレーオフではロッテが阪急を3連勝で下した。

◆77年=前期V阪急、後期Vロッテ

阪急はトレードで中日から獲得した稲葉光雄投手、島谷金二内野手の活躍で4年連続の前期優勝。ロッテは有藤通世、リーの中軸が着実に仕事をこなし後期を制した。プレーオフは第5戦までもつれ込み、阪急がものにした。

76、78年は阪急が前後期とも優勝したため、実際にプレーオフが行われたのは8度だった。2度の顔合わせとなったのは、阪急-ロッテのほかには75、79年の阪急-近鉄だけである。

阪急時代に10度の優勝を誇った名門は、球団売却により89年オリックスとなった。チーム名も91年にはブルーウェーブへと変更し、本拠地も西宮からグリーンスタジアム神戸(現ほっともっと神戸)へと移った。さらに近鉄との合併に伴い05年バファローズとなるなど、激動の時代を経た。一方のロッテは78年にフランチャイズを川崎市に構えた後、92年千葉市へ移転し球団名もマリーンズと改め今日に至っている。両者は平成時代にはV争いすることなく、時代は令和へと移った。

この2球団が開幕から100試合を過ぎて首位攻防を行うのは、1シーズン制の年では初だという。昭和時代には、74年ロッテは中日を、77年阪急は巨人を倒して日本一の座についた。44年の時を超えて対決する「元阪急」と「元オリオンズ」。最後まで一戦必勝の戦いを楽しみたい。【記録担当=高野勲】