母校・PL学園(大阪)の懐かしい色調、デザインを思わせるユニホームで、山野司監督が高知中央を率いて夏の甲子園に帰ってきた。

PL学園から近大、社会人の三菱重工神戸でプレーし、現役引退後は関西国際大のコーチなどを経て今年4月に高知中央の監督に就任。周囲の勧めもあって、ユニホームをそれまでのピンストライプから変更した。高校時代を思い起こし、山野監督「やっぱりぼくの原点ですから」と語った。

1学年上が清原和博氏、桑田真澄氏のKKコンビ。山野監督は、高校球界最強の打者からPL学園の4番を引き継いだ。素質プラスひたむきさゆえの抜てきだった。当時の中村順司監督から「山野の面倒を見てやれよ」と言われた清原氏は、個人練習にも付き添い、打撃投手も務めてくれた。

だが、努力は甲子園の結果にはつながらなかった。86年センバツは、初戦で浜松商(静岡)に完敗。「全然活躍できなくて2打席で交代。すごく悔いが残っている。だから選手たちには、悔いを残さないでくれと伝えています」と苦い経験を踏まえて助言。努力が結果につながらなかった理由を「すごい先輩、すごい同級生にどこかで頼り、また気後れしていたんだと思います」と明かした。甲子園で試練を経験した。

その場所に、監督として戻ってきた。初戦の綾羽(静岡)戦は接戦になった。2-1で迎えた9回は、頼みにしていた中心選手の失策がからんで追いつかれ、延長タイブレークで敗れた。昼夜2部制の日で、19時49分の試合開始、22時46分の終了ともに史上最も遅い記録になった。

試合後の取材は、その記録に集中。初戦敗退の悔しさを語る場にならなかった。監督として戻った甲子園で、悔しいことが重なった。「でも、お客さんがたくさん入ってくれて、最後まで応援してくれました。それがうれしかった」。PL学園時代は5万人近い大観衆の前でプレーした人が、8月8日の9000人の観客に感謝した。うれしい思い出も携えて、高知に帰っていった。【堀まどか】