巡り合わせを感じた。前日22日、好調だったキャプテン糸原健斗が試合中に右手有鉤(ゆうこう)骨を骨折。登録を抹消された。そこでこの日、北條史也が遊撃でスタメン出場した。しかも指揮官・矢野燿大の指令により、キャプテン代行としての出場だった。

北條は藤浪晋太郎と同期入団だ。12年のドラフト2位。1位が藤浪だった。その夏の甲子園大会。藤浪擁する大阪桐蔭に決勝で敗れたのは北條が主砲だった光星学院(当時)だ。同期入団で同学年。藤浪にとって唯一の存在である北條が復帰マウンドでバックを守ることになったのだ。

その1回。まず広島の1番西川龍馬は遊ゴロ。2安打を浴びた後、こわい鈴木誠也を遊ゴロ併殺に切った。このときゴロを捕球した北條は二塁カバーの木浪聖也に「オレが!」という感じで元気よく意思表示し、二塁ベースを踏み、一塁へ送球した。気合の入った併殺プレーだったと思う。

4回にも併殺を完成。いい流れが来ているか…と思っていた。しかし2人の野球人生が順風満帆ではないのと同様、簡単ではない。6回に満塁弾を浴びた藤浪が続投した7回、北條はいきなり失策を記録。これをキッカケに藤浪は2走者を残して、降板した。

バットでも藤浪が投げている間に安打を記録できなかった。さらに7回2死一、三塁の好機。北條に打席が回ったが代打ボーアを送られた。結局、2人は消化不良なまま、試合から退くことになった。

藤浪について、北條に話を聞いたのは3年前の17年5月27日だ。藤浪が不調を理由としては初めて2軍行きとなった日である。当日にその感想を聞いた。

「情けない…って、ウソですよ。アイツならすぐ戻ってくる。そのときにボクも試合に出られるようにしていたいです」

北條はそんな話をした。そして昨年19年8月1日の中日戦(甲子園)。藤浪が唯一1軍登板した試合だ。リードされたまま藤浪が降板した後、北條は同点ソロを放ち、藤浪の黒星を消した。そこでも2人の縁を感じたものだ。

それから藤浪はもちろん、北條もブレークしきれない日々が続く。それでも「甲子園のスター」として、関西弁を話す数少ない猛虎戦士として、2人の存在は貴重だと思っている。2人そろってお立ち台で笑わせてくれる日を待ちたい。(敬称略)【高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「虎だ虎だ虎になれ!」)