夏の甲子園で東北勢初優勝を狙う仙台育英(宮城)は18日、今日19日の準決勝早実(西東京)戦に向け、兵庫・西宮市で約2時間の練習を行った。一方、福島・白河関跡にある白河神社では、宮司の西田重和さん(67)が東北の悲願「大旗白河越え」へエールを送った。

 高校野球100年の年に、悲願達成だ。栃木と福島の県境、白河関跡にある白河神社の西田宮司は09年から毎夏、東北代表6校に優勝を祈願した「通行手形」を送り続けている。自身もソフトボールをたしなむ野球好き。同神社の御利益は勝負開運で、09年には花巻東が4強に進出、11年からは2年続けて八戸学院光星が夏準優勝に輝いた。

 「(通行手形は)東北勢に優勝してほしくて始めました。地元福島の聖光学院・斎藤監督は、送るとすぐに電話をくれます。各学校それぞれで、移動のバスに置いてもらったり、監督のバッグに入れていただいたりしています」。

 宮城の仙台育英にとっても縁起のいい神社だ。1615年、伊達政宗が同家の繁栄を祈願して、白河神社の本殿を寄進した。西田宮司は「今でも当時の名残で伊達家の家紋、九曜紋を使わせていただいています」と説明した。今年はそれからちょうど400年。独眼竜の願いが、甲子園で戦う仙台育英ナインに届くか。

 全国制覇まであと2勝に迫り、西田宮司の言葉にも力がこもる。「駒大苫小牧で夏連覇したマーくん(田中将大=現ヤンキース)は飛行機で北海道に優勝旗を持ってちゃったから、白河の関は越えていない。高校野球100年の今年こそ、東北勢に優勝してほしいですね」。念ずれば花開く。100年も閉ざされた重い扉が、開かれる日を願っている。【高橋洋平】

 ◆白河の関 勿来関、鼠ケ関とならぶ奥州三関の1つで、古代東山道の陸奥国入り口に置かれた関所。奈良時代から平安時代ごろに、人や物資の往来を取り締まる機能を果たしていた。関跡を境内とする白河神社は、古墳時代の4世紀ごろが始まりとされ、1180年には源頼朝の挙兵を知った義経が鎌倉に向かう道中、勝利を祈願したと伝わる。「みちのく」の玄関として歌人、俳人も多く訪れ、名歌を残した。