PL学園硬式野球部の歴史が幕を閉じた。第98回全国高校野球選手権(8月7日開幕、甲子園)大阪大会初戦(2回戦)に選手11人で臨み、東大阪大柏原に6-7で敗退。前日14日に2人が負傷する試練の中、1回に先制。7回は藤村哲平投手(3年)が逆転2ランを放つ意地を見せたが、直後に同点とされ、8回に決勝打を許した。今大会を最後に休部することが決まっており、甲子園春夏7度優勝の輝かしい歴史にいったん終止符を打つ。

 歌声が、三塁側のスタンドから聞こえた。「<歌詞>ああ、PL、PL、永遠の学園 永遠の学園」。軟式野球部を中心に結成された応援団が、声を限りに校歌を歌った。「ぼくらがみんなに校歌を贈りたかった。一緒に歌いたかった。それが、心残りです…」。梅田翔大主将(3年)の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 ぎりぎりの布陣だった。選手11人から、正二塁手の河野友哉(3年)と控え外野手の正垣静玖(しずく=3年)が離脱した。前日14日の守備練習中の激突で河野は左大腿(だいたい)部を骨折し、正垣は右肩を亜脱臼。右肩痛を抱える藤原海成外野手(3年)を左翼に入れて、9人を保った。

 送球できない藤原海は打球処理後、中堅手にトス。正垣は一塁コーチ、伝令にと走り回った。松葉づえをついてベンチ入りした河野は試合中、ベンチのフェンスを支えに立ち続けた。1人でもプレー不能となれば没収試合。そんなぎりぎりのナインが、一時は夢を見せたのだ。

 4-5の7回1死二塁。藤村の逆転2ランが左翼席に突き刺さった。2回途中5失点で女房役の梅田にマウンドを譲ったエースが「結果を出せていなかった。フルスイングしました」と意地の一撃。観戦した宮本慎也氏(元ヤクルト)ら最強時代のOBが総立ちになった。数々の逆転劇を演じるなど、名シーンを刻んだPLに、スタンドから惜しみない拍手が起こった。

 そんな名門も01年に暴力事件が発覚。13年に再び暴力事件が起きて校長が監督を兼任するなど迷走。2月に夏を最後に休部が明らかになった。現チームは昨秋の結成から公式戦未勝利のまま、最後の夏を終えた。梅田主将は涙ながらに野球部復活を願った。

 「今日は一生悔いが残る。そして一生胸を張れる試合。悔いが残るのは校歌を歌えなかったこと。胸を張れるのは、このユニホームを着て試合ができたこと。でも甲子園に行きたかった。この先どうなるかはわかりませんが、帰る場所を作っていただきたいです」

 敵味方の区別なくたたえられた学園。不滅の歴史が幕を閉じた。【堀まどか】

 ◆PL学園休部までの主な経過 13年2月の部内暴力発覚。6カ月間の対外試合禁止処分で夏の大阪大会に出られず。14年夏の大阪大会は準優勝。野球経験のない正井一真校長が監督を務めた。10月には15年4月に新入生に対する野球部員募集停止が判明。15年は夏大阪8強。2年生だけの部員12人で臨んだ秋季近畿大会府予選1回戦でサヨナラ負け。