佐賀大会は決勝戦が行われ、佐賀北が4-1で鳥栖を下し、14年以来5年ぶり5度目の夏甲子園出場を果たした。ノーシードながら、07年に投手として、夏の甲子園優勝に貢献した久保貴大監督(30)に率いられ、「がばい旋風」をほうふつとさせる快進撃で頂点を立った。「がばい監督」が17年秋の就任から2度目の夏挑戦で偉業を成し遂げた。

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久保監督が甲子園凱旋(がいせん)を決めた。ナインが作る歓喜の輪を見届け「緊張感があったのでホッとしています」と胸をなで下ろした。試合後に胴上げで5度宙を舞い、取材中に思わず感情がこみ上げ、男泣きした。監督としての甲子園出場の感想を問われ「(選手の時と)同じぐらいうれしい。想像できないが、北高らしく勝てるよう頑張りたい」と意気込んだ。

「がばい旋風」を巻き起こした07年の日本一をほうふつさせる快進撃だった。春の県大会で初戦負けするなどノーシードからのスタートだった。だが初戦で昨秋に敗れたシード校鹿島を撃破し、勢いに乗った。3回戦も春夏通算4度の甲子園出場を誇る龍谷に快勝。佐賀北監督として全国制覇に導いた百崎敏克・現同校副部長が「久保の成長が一番大きい。選手が監督とともに成長していった」というミラクル進撃だった。

エース左腕、川崎大輝投手(3年)は、久保監督から「ピンチで抑えるのが本当のエース」と指導された。教えを胸に6安打1失点完投。準決勝までチーム打率が3割7分4厘の打線も13安打と勢いがあった。

試練を乗り越えた。久保監督は百崎監督の後を継ぎ17年秋に就任したが、昨夏に初戦敗退するなど成績は低迷。采配などについて選手の不満が噴出し、中には「百崎監督に戻してほしい」と言う者もいたという。それでも選手時代同様、まじめにコツコツと選手と意見交換する日誌で溝を埋めた。県外強豪校に指導法を学びに行くなどチーム改革のための姿勢も伝わった。小野颯真主将(3年)は「人のせいにせず、日本一になった監督を信じてついていこう」と言い、春から一体感がより強まっていた。

川崎は甲子園出場に向け、「監督に初勝利をささげたい」と気合十分だ。佐賀北ナインが「がばい監督」とともに、再び旋風を巻き起こす。【菊川光一】

◆佐賀北 1963年(昭38)創立の県立校。男女共学で普通科に826人(女子474人)が学ぶ。野球部は63年創部で部員55人(マネジャー3人)。甲子園出場は春はなく、夏5度目。初出場の00年は初戦で横浜に敗退したが、07年に初優勝。主な卒業生は元巨人岸川勝也、女優中越典子ら。所在地は佐賀市天祐2の6の1。渡辺成樹校長。

◆久保貴大(くぼ・たかひろ)1989年(平元)6月13日、佐賀県生まれ。山内西小3年から軟式野球を始め、山内中では県4強。佐賀北では1年秋から背番号10、2年秋からエースに。07年夏の甲子園初優勝に貢献。全試合にロングリリーフ起用され、初戦から決勝途中まで34回1/3を連続無失点、防御率0・49で優勝の立役者となった。筑波大から社会人チームなどを経て、16年春から保健体育の教諭として母校に勤務。副部長を経て17年秋から監督に就任した。

<佐賀北Vの足跡>

2回戦4-3鹿島

3回戦5-1龍谷

準々決勝2-1伊万里農林

準決勝10-0神埼清明

決勝4-1鳥栖

<07年佐賀北のがばい旋風>

県立校が夏の甲子園で強豪校を次々にミラクル撃破。「とても」を意味する佐賀弁「がばい」から「がばい旋風」と呼ばれた。 開幕戦で福井商に2-0で甲子園初勝利。2回戦は宇治山田商と延長15回4-4で引き分けたが、再試合は9-1の完勝。3回戦は前橋商に5-2、準々決勝は帝京相手に延長13回4-3でサヨナラ勝ち。準決勝は長崎日大に3-0で快勝した。 広陵との決勝は8回に副島浩史(現唐津工監督)が野村祐輔(現広島)から逆転満塁本塁打を放ち、5-4の劇的勝利で初優勝。久保は全試合にロングリリーフ起用され、初戦から決勝途中まで34回1/3を連続無失点、防御率0・49で優勝の立役者となった。