報徳学園(兵庫)の田中太晴(たいせい)マネジャー(3年)は、阪神で内野手として活躍し現在スカウトを務める田中秀太さん(43)の長男だ。「顔は父に似ていると言われます」と笑う表情は確かに似ている。祖父、父と同じ熊本工への進学を考えたが、地元の強豪・報徳学園を選んだ。

入学当時の3年生には現広島の小園海斗内野手(20)らがいた。中学では二塁手だったが「自信がなくなったというか…レベルが違うなと思った」と入部を迷っていると、父から「マネジャーでもいいから野球部に入った方がいいよ」と後押しされ、マネジャーとして入部した。

2学年上のマネジャーから仕事を教えてもらった。1つ上の学年にはマネジャーがいないため、半年で田中が一番上になった。「最初は先輩に言いにくいこともありましたが、冬を越えたくらいから大丈夫になりました」。ノックを打ったり、選手のタイム走を計測するなどの練習補助、試合でのスコアつけなどが主な仕事。その中でも一番大変なのは練習中に食べる「補食」の準備だ。

6月15日に1年生も含め部員145人全員での全体練習が再開されたが、現在まだ補食は解禁されていない。田中マネジャーは1年生が加わる前の話をしてくれた。昼休みに下級生と炊飯器にご飯を仕込む。約100人分の100合を炊く。練習が始まると、プラスチック容器にご飯を入れる。これまでは各自がふりかけなどで食べていたが、今のチームから納豆や卵もつくようになった。自転車でスーパーに買いにいくのも仕事だ。「カゴいっぱいに3個パックの納豆を33、34個買います。ユニホームに『田中』と書いてあるから恥ずかしい」と笑う。

新型コロナウイルスの影響により、11日から開幕する兵庫独自大会が最後の舞台となった。優勝はなく8強までの大会も「兵庫県の県大会で負けていないのは報徳だけ。絶対無敗で終わろうと、みんなで言っています」。昨秋の兵庫県大会では決勝で明石商に勝ち優勝。近畿大会は初戦敗退したが、県内の公式戦無敗のまま終わりたい。

父のプレーを見た記憶はない。09年9月23日、2軍公式戦で引退試合があった。当時まだ6歳、花束を渡すために甲子園のグラウンドに立った記憶がうっすらとあるくらいだ。だが、九州地区のスカウトとして梅野らを発掘した姿はしっかり見てきた。「裏方の魅力を父からも感じますね。やっぱり、自分がこの仕事を始めてから、父はすごいなと。父に直接は言えませんが…」と照れながら話した。田中は大学でも野球部でマネジャーを続けたいと希望する。陰からチームを支える父の背中を、これからも追い続ける。【石橋隆雄】

◆田中太晴(たなか・たいせい)2003年(平15)3月2日生まれ。兵庫県芦屋市出身。岩園小3年から軟式の芦屋ファイターズで野球を始める。投手や遊撃手。山手中では硬式の兵庫西宮ボーイズでプレー。投手をしていたが右肘を故障し二塁手へ。チームメートには履正社・関本勇輔捕手(3年)も。右投げ右打ち。179センチ、60キロ。

▽阪神田中秀太スカウト「野球をやりたい気持ちもあったと思うが、不満を言わずやっている。裏方も大事。1年生の時、小園選手たちに甲子園大会に連れていってもらえた。3年間よくやりとげたと思います」