天国の三浦貴コーチにささげる優勝だった。浦和学院(埼玉)が花咲徳栄を破り、2年ぶり15度目の夏の甲子園出場を決めた。大会中の24日、巨人などでもプレーした三浦コーチが、直腸がんのため45歳で急逝。ナインは感謝の思いを胸に決勝の舞台に立ち、喜屋武(きゃん)夢咲(ゆめき)外野手(3年)は、同点の4回2死満塁で決勝の右前2点適時打を放った。21年秋に就任した森大監督(32)にとっては、初めての夏の甲子園出場となった。

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9回が始まる直前、主将の江口英寿外野手(3年)はナインを集め、田中樹人(みきと)投手(3年)が持ってきた帽子を見せた。1年生のときに、三浦コーチから譲り受けたものだった。5点リードの最終回。2死一、二塁でその田中が相手打者を中飛に打ち取ると、マウンドに歓喜の輪ができた。森大監督(32)は「天国で見てくれている三浦先生のために、選手たちは頑張ってくれました」と涙した。

4回に流れをつかんだ。2死満塁で、喜屋武が右前に決勝の2点適時打。「最後は気持ち。自分が出来ることを全力でやれ」。三浦コーチにかけられた言葉を打席で思い返し、真ん中高めのボールをはじき返した。「自分がここで打ってチームを少しでも楽に進めたかった」。この回一挙4得点で、花咲徳栄を突き放した。

点差は開いても、楽な戦いではなかった。出塁を許さなかったのは5回だけ。それでも江口主将は、体がきついと感じたらグラウンドに「三浦貴」の文字を書いたといい、「ピンチになったら空を見上げていました」。内野守備陣は2、6、8回と3度の併殺を完成。江口は「パワーをもらったような気がしました」。天国で見守るコーチとともにつかんだ、埼玉制覇だった。

三浦コーチの座右の銘は「一瞬に生きる」。今この瞬間に全力を尽くす。甲子園でも一戦必勝を続け、次は日本一を墓前に報告する。【佐瀬百合子】

▽西武蛭間(浦和学院OB)「決勝は遠征先のホテルで見ることができました。特に今年の大会は三浦(貴)先生のためにも多く勝ち進んで欲しい」

◆浦和学院 1978年(昭和53年)創立。生徒数は2767人(女子1294人)。野球部は創立と同年に創部。部員数は124人。甲子園は夏15度、春11度の出場。主な卒業生はロッテ小島和哉、西武の渡辺勇太朗と蛭間拓哉。所在地はさいたま市緑区代山172。石原正規校長。