<高校野球青森大会:弘前学院聖愛4-3弘前>◇23日◇決勝◇青森市営

 弘前学院聖愛が弘前を破り、初の甲子園出場を決めた。3-3で迎えた7回裏、6番森山裕土内野手(2年)のタイムリーで勝ち越し。3回途中から救援の小野憲生(3年)が4安打無失点の好投で接戦を制した。創部13年目、地元出身者で固めた聖愛が春秋を含めて初の県王者。春夏を通じて悲願の初の甲子園を勝ち取った。

 優勝の瞬間、マウンド上の小野に和島光太郎捕手(2年)が抱きついた。「頂点だ!」。ナインが駆け寄り、人さし指を何度も突き上げた。先制され、逆転しても追いつかれた。同じ市内の弘前に大苦戦。だが甲子園への執念が最後に花を咲かせた。

 準決勝までのびのび戦ったナインだが、決勝の前半は緊張で硬かった。5回終了後のグラウンド整備の時間、原田監督はナインを室内練習場に集めた。「電気ショックをやろう」。全員が輪になって指と指を近づけ、触れ合うリラックス法。成田拓也外野手(3年)は「電気が走った!

 とみんな大爆笑。6回から落ち着いて戦えた」という。

 「何もないところからスタートして13年目。長いようで短かった」と原田監督。学校は19世紀創立の古い歴史を持つが、野球部は01年、21世紀スタートの年に部員10人で創部。同年初参加の夏の大会は初戦(2回戦)で岩木に2-29、5回コールド負けを喫した。それから12年、ついに春夏秋を通じて初めて青森県の頂点に立った。

 05年夏ベスト4、09年秋東北大会同など急速に成長してきた。だが野球一辺倒ではない。「人間形成が第一」が原田監督の信条。冬は高齢者の家の雪下ろしなどボランティア活動を行った。また福祉施設を訪問。野球が好きでも、なかなか球場に行けない人たちのため、ユニホーム姿でバットを振って見せたり、コントや歌で楽しませた。

 一方で、Vを勝ち取るための戦略は用意周到。練習メニューは各ジャンルごとに選手に決めさせた。春休みは初めて沖縄に遠征。宜野座、中部商など強豪と練習試合を重ねた。「とてもいい遠征になった」(原田監督)。6月下旬には青森市営球場を借りて練習。夏のメーン会場に慣れさせた。「各選手が役割を果たしてくれたのが優勝につながった」と原田監督はいう。

 昨夏、初の決勝で八戸学院光星に敗れて1年。その光星に続いて青森山田も倒し、頂点に躍り出た。だが小野も一戸将主将(3年)も「今日は通過点。目標は日本一」と口をそろえた。弘前市はりんごの生産量が日本一。原田監督は「中間目標は達成した。最終目標はりんごっ子で日本一」と高らかに宣言した。【北村宏平】

 ◆弘前学院聖愛

 1886年(明19)、弘前教会内に来徳女学校として創立の私立校。48年に聖愛、50年に現校名となる。00年から男女共学。06年には中学も開設された。普通科のみで生徒数は676人(女子455人)。野球部は01年4月創部。09年秋の東北大会4強。所在地は青森県弘前市原ケ平山元112の21。山上猛美校長。◆Vへの足跡◆2回戦15-0岩木3回戦8-1青森東4回戦12-0十和田工準々決勝2-1八戸学院光星準決勝4-2青森山田決勝4-3弘前