右肘炎症を発症していたヤクルト・ドラフト1位の奥川恭伸投手(18=星稜)が6日、宮崎・西都の2軍キャンプで1月14日以来のキャッチボールで再スタートを切った。練習後には西都市立穂北中を訪問。「野球にかける思い」のテーマで同校93人の質問に答え、市役所を目指した堅実な中学生時代を告白した。奥川にとってはプロ初の苦難を乗り越えた、大切な1日となった。

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肘の炎症など忘れている。奥川は強く腕を振った。指先の感覚に集中。「そこの感覚が戻らないとだめですから。肘のことは何も考えずに。むしろボールの回転を気にしていました」。この時すでに、右肘炎症から先へ進んでいた。

10メートル弱から始めたキャッチボールは、最後は30メートルになった。奥川から「よし」の声が漏れる。「大丈夫か?」。飛ばす18歳にスタッフから声がかかるが、輝く笑顔が杞憂(きゆう)を封じる。およそ80球。「まずまずです。感覚良かったです。4、5割の力を入れました」。

池山2軍監督が胸中を代弁した。「我慢するのはつらかったと思う。奥川は多少痛みがあっても、温まれば投げられるみたいだ。よく辛抱したよ」。自覚症状はなかったが、薄皮を剥がすような細心の注意でノースロー調整を選んだ。一抹の不安もなく腕を振ったルーキーに天は味方した。今後も強度を上げてキャッチボールを継続する。

大きな1歩を踏み締め、奥川は中学生の質問に丁寧に答えた。今季の目標を質問されると「1軍の試合に出て、3勝することです」と言った。「こうなったので3月の1軍は難しいと思います。暖かくなったら1軍に上がって、3つ勝てるように。大谷さんもダルビッシュさんも1年目は(勝ち星は)1ケタだったと思います。田中将大さんはすごかったですが、僕とは体の強さが違いますから」。

もう1つ、中学時代の目標には「公務員です。収入が安定しているから」と答えた。そして「市役所に勤めようかなと。市役所も大変ですが、教員だと勉強をもっとしないといけない。消防士、警察官は特殊で大変そうだと思っていました」と続けた。

安定性、特殊性を念頭に置いていた奥川少年は、高校卒業直前に安定性とは懸け離れたスペシャルな世界に飛び込んだ。プロは容赦ない浮き沈みの世界。その真っただ中で奥川が投げ込んだ30メートルは、大きな希望と手応えが詰まった素晴らしいキャッチボールだった。【井上真】

▽ヤクルト高津監督(奥川について)「思ったより投げられていた。力加減や球数をとばしすぎないようにしてほしい。せっかく炎症がなくなったので」