試合は「誇り高き闘将~西本幸雄メモリアルゲーム~」として開催された。

オリックス前身の阪急、近鉄を率いた故西本幸雄元監督の生誕100年を記念し、1967年に阪急で初優勝した10月1日に合わせ、監督、選手らは当時の復刻ユニホームを着用し元監督の背番号50をつけている。

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西本さんは“悲運の名将”と呼ばれる。8度のリーグ優勝を成し遂げながら1度も日本一の座をつかめなかった。特に、川上哲治さん(故人)が率いる巨人には、5度の日本シリーズで対戦したが敗退する。

今年は川上さんの生誕100年にもあたる年で、球史に残る2人の名将が並び立ったシーズンだった。「西本さんのことを悲運と言ってはいけない。かわいそうだ」。生前の川上さんが残した言葉だった。

川上さんが「実力は互角だった」といった71年日本一決戦。1勝1敗の第3戦。1-0の9回裏、山田久志が王貞治の逆転サヨナラ3ランで沈んだ。「あれで流れが変わった」。シリーズ史上屈指の名場面だ。

巨人は福本豊の足を封じるために、わざと一塁にけん制を悪送球させて、カバーする右翼手に二塁で刺す練習を繰り返したほど連覇に執念を燃やした。V9監督の川上さんは「我々のほうがわずかに運に恵まれた」と振り返った。「悲運と言ってはいけない」と語った後、こうも続けている。「阪急は十分に強かった」と…。

【編集委員・寺尾博和】