来春のセンバツ出場をかけ、高校野球は全国各地で熱い秋の戦いが繰り広げられている。18年前の03年春、広陵(広島)のエースだった西村健太朗氏(36=元巨人)は、前年秋の中国大会決勝で敗れた悔しさを力に変え、センバツを制した。18年シーズン限りで引退し、現在はジャイアンツアカデミーコーチを務める西村氏が、当時の秘話や思い出を語った。【久保賢吾】(後編は無料会員登録で読むことができます)

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8月24日の巨人-広島戦、巨人ビエイラが28試合連続無失点を記録し、12年の西村健太朗に並んだことが報じられた。現在、ジャイアンツアカデミーコーチとして、子供たちを指導する西村氏は照れくさそうに笑いながら感謝した。

「引退してから3年になりますけど、ビエイラのおかげで僕の名前を出してもらって、ありがたいです。『西村って、いたな』と思い出してくれた方もいると思うので」

現役時代から変わらない謙虚な話しぶり。ただ、プロ15年間で残した記録は、巨人の歴史に色濃く刻まれる。12年からはスコット・マシソン、山口鉄也と勝利の方程式を形成。「スコット鉄太朗」と称され、13年には球団記録の42セーブで最多セーブを獲得した。

「9」。ちょうど18年前の夏、西村氏が記録した数字である。3年夏の甲子園の初戦、東海大甲府を3-0で完封し、歴代13位タイの甲子園通算9勝目を挙げた。2年春から広陵のエースとして4季連続の甲子園出場。3年春のセンバツでは優勝を飾った。計4季で12試合に先発し、9勝3敗、防御率1・97を誇った。

「センバツの時は優勝を決めた横浜戦ももちろんですけど、僕の中で印象に残ってるのは、中井先生に怒られた初戦の旭川実業戦ですね」

03年春のセンバツ2回戦。旭川実戦で8回 1/3 を投げ、1失点でチームを勝利に導きながら、中井哲之監督の目にはある変化が気掛かりに映った。伏線は、前日の徳島商-柳川の一戦。のちに巨人に同期入団する徳島商のエース平岡政樹が最速147キロを記録した。当時17歳。同い年の右腕のスピードに目がくらんだ。

「めちゃめちゃ、意識しちゃって。自分も速い球を投げたいなと。スピードを狙いすぎて、大荒れでした。中井先生からはスピードは意識せずに『8割でいいから』と言われましたね」

次戦の遊学館戦は、自身もチームメートもヤマ場と意識した一戦だった。のちに大阪ガスを経て、阪神にドラフト希望枠で入団する小嶋達也に投げ勝ち、6-0で完封した。「たまたま」と謙遜するが、マウンドでは「8割の意識で。一切、スピードは気にしなかった」と監督の教えを守った結果だった。

高校時代、失敗や敗戦から学ぶことが多かった。センバツで優勝したが、前年秋の中国大会では決勝で岡山城東に敗戦。決勝点は暴投によるバッテリーミスだった。夏の甲子園でベスト8入りし、新チームのスタートが遅れた影響から、練習試合はボロボロ。中井監督からも「弱い」と指摘されたが、秋の1敗がチームを根本から変えた。

「めちゃめちゃ、悔しくて。そこから、口にしたらかなうじゃないですけど、みんなでずっと『甲子園では優勝する』って、口に出しながら、練習をしたんです」

センバツ優勝の瞬間、西村氏はマウンドで思った。「まさか、あの言葉が本当に、かなうなんて…」。夢が実現した感動もつかの間、歓喜から2日後にはグラウンドに立ち、春夏連覇に向けた練習が始まった。

その約4カ月後、西村氏の高校野球生活の中で一生悔いに残る試合が待っているとは、知るよしもなかった。

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