須田幸太。35歳。

アマチュア野球ファン、DeNAファンにも、記憶に強く残っている人は多いのではないだろうか。

現在は社会人野球のJFE東日本で、投手兼コーチとして腕を振る。

10年ドラフト1位で横浜(現DeNA)に入団し、8年間で166試合に登板。16年には中継ぎとして自己最多62試合に登板するなどチームを支え、18年に戦力外通告を受けた。翌年から社会人の古巣に復帰。同年夏の都市対抗では優勝を決めた決勝まで全5試合に登板し、14回を投げて4勝、17奪三振、防御率0・64。大会MVPに当たる橋戸賞を受賞した。

復活を強く印象づけた活躍から、さらに年を重ねること2年。今年10月5日には、都市対抗野球南関東2次予選の第3代表決定戦の8回2死一、二塁から登板し、無失点で切り抜けた。

2点差に迫られていたチームを3年連続25回目の本大会出場に導いたベテランは「それが仕事。あの場面は仕事をするだけだと思い、マウンドに上がりました。最悪1点差にしてもOK」と汗を拭った。

14年前。土浦湖北(茨城)から早大に進学した須田の転換期となったのは、3年春の07年だった。

1年生に夏の甲子園を制したハンカチ王子、斎藤佑樹投手が入学。早大グラウンドや東京6大学のリーグ戦は、連日マスコミが詰めかけ、例年以上の盛り上がりを見せた。

注目を浴びる中、須田は斎藤との先発2本柱としてリーグ戦初勝利を挙げると、そのまま春季リーグ戦を制し、大学日本一になった。同期には松本啓二朗(横浜1位)、上本博紀(阪神3位)、細山田武史(横浜4位)がいた。4年春に最優秀防御率を獲得したが大学通算8勝。4人の中で唯一プロには進めなかった。

「不完全燃焼の思いが強い。社会人に行ってこの思いを晴らしたい」。2年後、ドラフト1位でプロに入る|。強い信念を持って社会人野球に挑み、2年連続全国舞台で活躍。日本ハムに1位入団した斎藤のプロ同期生として「ドライチ」でプロの門をたたいた。

かつての後輩は今季限りの引退を決断したが、須田のシーズンはまだ続く。

例年夏の風物詩だった都市対抗野球は、今年は11月28日に開幕する。

自らの投球で3年連続の出場を決めた直後は、チーム全体の投手陣に目を配るコーチとしての顔をのぞかせた。「いい、悪いを繰り返してきている。悪い部分になったとしても、戦えるレベルになるようにしていきたい」。残り少なくなってきた野球人生。投手陣の底上げを図りながら、悔いなく、最後までチームのために腕を振る。