球界の功労者をたたえる「2022年野球殿堂入り」が14日、野球殿堂博物館から発表され、東海大の創立者である松前重義氏(故人)が特別表彰で野球殿堂入りした。

総数14のうち、有効投票数は11だった。松前氏は9票(有効投票の81・8%)を集め、当選に必要な75%をクリアした。

松前氏は、1901年(明34)10月24日、熊本・大島村(現嘉島町)生まれ。野球界への貢献としては、47年に武蔵野文化都市建設の社長に就任した後、51年に武蔵野グリーンパーク(東京スタディアム)を開設。64年には首都大学野球連盟を設立し、初代会長に就任した。日本高野連、日本学生野球協会、全日本大学野球連盟の要職も歴任。冷戦下の88年には、モスクワ大にソ連初の野球場となる松前記念スタジアムを寄贈した。92年のバルセロナ五輪での野球競技採用の布石とも言われる。

技術者・教育者・政治家としても大きな足跡を残した。熊本中(現熊本高)から熊本工業学校(現熊本大工学部)、東北帝国大(現東北大)工学部に進み、電気工学を学んだ。

大学卒業後は技官として逓信省(後の郵政省など)に入省。新しい通信方式(無装荷ケーブル通信方式)を開発した。逓信省時代には、思想家の内村鑑三が主催する聖書研究会や講演会などにも通い、敗戦から復興するデンマークの歩みを知り、教育の重要性を知る。1936年(昭11)に東京・武蔵野に望星学塾を開設した。

第2次世界大戦中は、国の要職にありながら戦争の早期終結を訴えた。そのため、42歳にして2等兵として、南方の激戦地に送られた。終戦後、逓信院総裁に就任。通信事業の復興に努めた。46年に旧制東海大、50年に新制東海大を開校した。

52年には、衆議院議員に初当選した。