2000年8月14日、阪神ドラフト1位の森下翔太は父善文さん(54)、母ゆりさん(51)との間に3042グラムで生まれた。名前の由来は「大きく羽ばたいてほしい」。善文さんは「翔」、ゆりさんは「太」とそれぞれ入れたい漢字を決めた後、姓名判断の本で「大吉」と分かり、翔太と名付けた。

1、2歳の頃から父の草野球について行き、野球に触れる日々。3歳でビーチボールを打ち返すことから野球を始めた。横浜F・マリノスのジュニアチームへの入団も考えたが、大好きな野球に熱中。善文さんは「野庭日限(のばひぎり)フェニックス」でコーチを務めたが、翔太が小3から小6までは監督と教え子として野球を取り組んだ。

善文さんは思い切って打って投げることを指導。マイホーム購入の際も、ボールの使用が可能で、のびのびプレーできる公園の近くに家を建てたほど、息子に最高の環境を整えた。

幼少期から翔太の目標は一貫していた。「プロ野球選手で活躍すること」。プロ野球選手になることがゴールではなく、活躍することが最低限。小学校の卒業アルバムでも「プロ野球選手になって活躍すること」と堂々宣言していた。

戸塚シニアから東海大相模に入学。逆方向に飛距離を出せる強みも開花し、高校通算57本塁打でドラフト候補に名乗り出る。しかし、プロ志望届は出さず進学を選択した。

「(プロで)活躍できるビジョンが思い浮かばなかった。高校で指名されるより、大学で技術や人間性を身につけてプロに行こうと思った」

明確なイメージを胸に秘めた高校卒業時から4年後、着々と進化を続けた翔太はついに阪神からドラフト1位指名された。善文さんは息子にブレない芯を感じていた。「常に上を目指して、自分で決めていました。戸塚シニアも、『厳しいチームに行きたい。友達がいなくても1人で行く』と自分で厳しい道を選んでいましたね」と納得顔だ。

高3の春、初の甲子園となったセンバツ大会では4強に進出したが、個人成績は本塁打ゼロ、2割6分7厘。プロ野球選手としてのリベンジを、家族は楽しみにしている。善文さんは「想像しただけで、ブルッと来る。本人も取り返す場ができて、気合が入っているんじゃないかな」と聖地帰還を待ちわびる。

12月12日、森下翔太は新入団会見で初めて縦じまのユニホームをお披露目した。「親孝行、お世話になった人のためにも自分が活躍しないと」。覚悟を胸に、新たな一歩を踏みしめる。【三宅ひとみ】(おわり)

◆森下翔太(もりした・しょうた)2000年(平12)8月14日生まれ、横浜市出身。横浜市日限山(ひぎりやま)小1年時から野庭日限フェニックスで野球を始め、日限山中進学後、戸塚リトルシニアでプレー。東海大相模では阪神遠藤成の1年先輩で、1年夏からベンチ入り。甲子園は3年春のセンバツで4強。高校通算57本塁打。中大では1年春から出場していきなりベストナイン。1年、4年時に大学日本代表に選ばれた。4年春に2度目のベストナイン。大学通算9本塁打。182センチ、92キロ。右投げ右打ち、血液型はO。

【阪神】ドラ1森下翔太、東海大相模で打撃才能開花 恩師・門馬監督に「感謝しかない」/連載4>>