阪神が10月のドラフト会議で大学日本代表の主砲、中大・森下翔太外野手(22)を1位指名しました。日刊スポーツでは、即戦力期待のスラッガーがプロに指名される道のりを「翔ぶが如く」と題し、5回連載でお届けします。

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森下は中大に入学する前、東海大相模(神奈川)で腕を磨いてきた。2年時は中軸として定着。主力として18年センバツは4強。プロ注目の打者として才能が開花し、高校通算57本塁打とパンチ力のある打撃スタイルが形付いた。

森下は今、当時の恩師で現在は創志学園(岡山)で指揮を執る門馬敬治監督(52)の存在が大きかったと言葉に力を込める。「プロ入りを悩めるレベルまで上がったり、中大に進学できたのは、東海大相模じゃないとできなかったと思う。感謝しかないです」。

高校入学以前は本塁打を量産するタイプではなかった。中1から創設50年以上の伝統チーム、戸塚シニアに入団。肩が強く、パワーは十分。リストも強かったが、場外弾などはなく、目立つ存在ではなかった。同チームで指導を続ける吉島良紀監督(67)は「パワーはあったけど、逆方向への本塁打は何本も打ってなかった。中距離打者だった」と振り返る。

吉島監督はむしろその人柄に目を向けていた。「地道に練習して、人の悪口は絶対に言わない子だった」。レギュラーをつかんだのも、最高学年の3年生になってから。厳しい言葉を浴びせれば落ち込むこともあったが、表向きに弱音を吐くことはなかったという。

恩師は東海大相模への進学が決まった当初は「大丈夫かな…」と心配したそうだが、「強い芯と根性があるからやっていける」と陰ながら応援。そんな周囲の願いも力に変えて、森下は高校入学後、徐々に潜在能力を発揮していった。

1年春、初出場した試合で逆方向にアーチ。「特に意識していたわけではない」と言うが、「当てにいかず振り切る」感覚が持ち前のパワーに火をつけた。「人が見ていないところで納得いくまで練習するのが好きですし、より気合が入る」。全体練習後の個人練習でも体をいじめ抜いた結果、後のプロ入りに向けた土台は出来上がっていった。

阪神からドラフト1位指名を受けた今、新聞記事や試合動画をチェックした吉島監督は「大分、大人になった」と感慨深い表情。阪神豊田も同じく教え子ということもあり、球団の有料動画サイト「虎テレ」の入会を決めた。「楽しみじゃないですか、かわいい教え子の活躍を見ることは。いつか現地も行きたいね」。

中学から大学まで、さまざまな人と巡り合い、成長を遂げた森下。高校で開花するまでには、陰で地道に取り組んだ姿があった。そんな姿をずっと見守ってきたのは言うまでもなく、家族だった。【三宅ひとみ】(つづく)

◆森下翔太(もりした・しょうた)2000年(平12)8月14日生まれ、横浜市出身。横浜市日限山(ひぎりやま)小1年時から野庭日限フェニックスで野球を始め、日限山中進学後、戸塚リトルシニアでプレー。東海大相模では阪神遠藤成の1年先輩で、1年夏からベンチ入り。甲子園は3年春のセンバツで4強。高校通算57本塁打。中大では1年春から出場していきなりベストナイン。1年、4年時に大学日本代表に選ばれた。4年春に2度目のベストナイン。大学通算9本塁打。182センチ、92キロ。右投げ右打ち、血液型はO。

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