20日に阪神生え抜き捕手初の1000試合出場を達成した梅野隆太郎捕手(33)の原点を、入団1年目の14年に1軍バッテリーコーチを務めた山田勝彦氏(55=現日本ハムバッテリーコーチ)に聞いた。田淵幸一や木戸克彦もなし得なかった大台到達の原動力となったのは「ノムラの考え+どん欲な猛練習」。押しも押されぬ捕手に成長した背番号2の“夜明け前”に迫った。
◇ ◇ ◇
梅野の師匠、元阪神の山田コーチがうれしそうに秘話を話してくれた。
山田コーチ (梅野は)野村さんに、自分で聞きに行っていましたからね。
10年前の2014年(平26)、梅野が阪神にドラフト4位入団した1年目。評論家だった野村さんの元に、自ら足を運んだという。プライベートで2時間ほど話す機会をもらい、ノートとペンを持ち込んだ。そのことを梅野にたずねると、当時の思いを明かしてくれた。
梅野 野球のこともあったけど、人としてあるべきこと、キャッチャーの我慢強さとか忍耐力だったり。キャッチャーとしてにじみ出てくるから、人との会話を大事にしていきなさいよと。人間力を学びました。
1年目のルーキーが、いきなり名捕手だった名将を訪問するには相当な度胸と覚悟が必要だ。それを梅野は実行に移した。捕手としての技術はもちろんだが、大事なのは「人間力」との金言を得た。阪神での現役時代に3年間、楽天で指導者として4年間、野村監督に学んだ山田コーチが「ノムラの考え」を補足する。
山田コーチ まずはあいさつ。(阪神)園芸さんも含めて、監督やコーチ、周りのスタッフの人に我々は支えられている。球場に足を運んでくれる、応援してくれるファンに支えられているから、感謝の気持ちを忘れずに取り組まないといけない。
山田コーチも社会人1年目の梅野に「ノムラの考え」を伝授してきた。梅野は野村さんとの対面ですべてを補完した。最後は「人間力」に行き着く。
山田コーチ 周りの人に信頼されるような人間になってほしい。“キャッチャーとは捕ることと信頼”、と自分も教わってきたから。監督しかり、チームメートしかりピッチャーしかり。『梅野さんならワンバンを捕ってくれる』、『梅野さんと組みたい』、そう思わせたら勝ち。それは自分の日ごろのすべての行動に責任を持たないといけないということ。愛されるような、応援していただけるような、そういう人にならないといけない。だから周りから責任感がないようにみえるプレーをした時は厳しく叱ることもありました。
山田コーチが「能力がすごい。肩も足もバッティングも全て素晴らしいものを持っていました。衝撃的」と第1印象で見込んだ逸材は、努力と人間力でみるみる成長していった。
練習は「めちゃくちゃやりましたよ。たぶん今の選手はついていけないぐらいやりました」と振り返る。そこには捕手として多くの試合に出場するために、基礎を身につけてほしい思いがあった。「捕手は体力がないと1年間143試合は戦い抜けない。とにかくキャンプはしっかり練習しました」。朝から晩までノックや捕球練習、スローイングなど厳しい練習を続け、今につながる礎を築いた。
梅野 ワンバンとかスローとか、キャンプで1年目に一番遅くまでサブグラウンドでずっと付き合ってもらっていました。それが今となっては体に染みついて、動きだったり、考え方をたたき込まれたイメージ。厳しく怒られたりもしました。1年目のシーズンでそういう経験をしたから、今があるんじゃないかな。
山田コーチ しんどくてもやるんですよ。ああでもない、こうでもないって言いながらやってましたね。体力ありました。ハングリーだよね。
1年目から92試合に出場。人より早く球場入りして走り込んでいた。配球も二人三脚で積み上げた。試合出場の有無にかかわらず、毎日話し合いを重ねた。
山田コーチ 試合での配球の根拠を全部言ってみろと。しんどいと思うけど、毎日試合終わってからすぐ話をして、試合前に感想書いてこいと言って、やりとりして、映像見て、ずっとそんな感じ。自分が野村さんから教えてもらったことも自分なりの考えも含めてやっていました。
今月20日の広島戦で阪神では田淵幸一も木戸克彦もなし得なかった生え抜き捕手の1000試合出場を達成。チームに信頼され、ファンに愛される選手に成長した。師匠は熱いエールで締めた。
山田コーチ 今の選手寿命は延びている。まだまだ通過点だと思って、2000試合、3000試合と目指してほしい。【村松万里子】
◆山田勝彦(やまだ・かつひこ)1969年(昭44)7月2日生まれ、愛知県出身。東邦から87年ドラフト3位で阪神に入団。03年に日本ハムに移籍し、05年引退。通算795試合、21本塁打、130打点、打率2割5厘。阪神時代は捕手として698試合に出場している。引退後は楽天、阪神などのコーチを歴任。



