【97年9月3日付・日刊スポーツ】<ヤクルト3-0横浜>◇97年9月2日◇横浜

 ヤクルト石井一久投手(23)が大一番でデッカイ仕事をやってのけた。横浜との首位決戦でプロ野球史上65人目、昨年8月11日の中日野口以来のノーヒットノーランを達成した。前半こそ制球に苦しみ4四球を与えたが、5回以降はパーフェクト。最後の打者、波留はこの日最速152キロのストレートで三振に仕留めた。石井の快投でヤクルトはVへ一歩前進。今日3日の同カードに連勝すればマジック21が点灯する。

 最後の121球目が、この日最速152キロの直球だった。石井一が波留を空振り三振に仕留めた瞬間、三塁側ベンチから全員が飛び出した。両手でガッツポーズ。古田と抱き合う。歓喜の輪ができる。そしてホージーにかつぎ上げられながらマウンドを下りた。横浜との首位決戦。優勝シーンの予行演習だ。

 ベンチに戻ると度肝を抜く言葉が飛び出した。「3回から狙っていきました」。事実、3回表の攻撃中にベンチで伊藤智に「ノーヒットノーランをやります」とささやいていた。「ア然として何も言えなかった」と伊藤智も驚いたほどだ。一転、8回のマウンドに上る前には「記録を達成したら今後の野球人生が怖いので降ろしてください」と野村監督に直訴していた。「めったにできることやないから」と野村監督に却下されてマウンドへ。あっさりと達成してしまった。

 ヌボーッとした表情ながらどこまでも強心臓、周囲をビックリさせる23歳だ。「調子は良くなかったが、直球が走っていた。(記録は)肩が治ればやる自信があった。本気で投げたのは最後だけ。大したことないですよ」と言い放つ。最後の三振を奪った直前の球は140キロのフォーク。その言葉はうそではなかった。

 昨年12月、左肩の手術、今年5月5日に帰国するまで米国の大リーグ、インディアンスの施設でリハビリを行い、自己管理の大切さを学んだ。神宮では登板した後も必ずトレーニングルームに向かい、自転車こぎで汗を流す。手術前には人から言われて動いていたが、変身した。かみ合わせが悪いため奥歯にセラミックの歯も入れた。治療中で痛み、前夜は「1時間おきに起きてしまった」というが、アクシデントも関係なかった。

 野村監督は「成長と言えるかどうかわからんが、相手を見下せるようになったなあ」と感慨深げだ。その一方で「ノーヒットノーランは結構やけど優勝争いをしてる中では困る」と、ぜいたくな悩みも。横浜とは3・5差、落とせない試合だった。「3位、4位のチームとやるより首位攻防戦で投げさせてもらいたかった」。重圧も力に変えていた。

 「次を大事に行きたい」と気を引き締める。ヤクルトで前回ブロスが巨人相手にノーヒットノーランを達成した95年は、日本一に輝いた。「ケガする前に戻った」という石井一の完全復活で、Vへ向けて同じ軌道を描き始めた。【栗原弘明】