元年俸120円Jリーガーで格闘家の安彦考真(46)が20年夏から届ける日刊スポーツウェブコラム「元年俸120円Jリーガー 安彦考真のリアルアンサー」では、2月から不定期で各界の代表者や挑戦者らと対談する新企画「時代を担う若者たちに伝えたい!挑戦し続けるためのマイルール」をスタート。初回の格闘技団体「RISE」伊藤隆代表に続き、第2回はJ3のY.S.C.C横浜の吉野次郎代表取締役が登場です。安彦もかつてプレーしたクラブで、昨年末からはキックボクシングチームの一員として所属。今回も必見の対談となりました。【構成=松尾幸之介】

安彦 この企画は各界の代表者や挑戦者が今、どういう風に思っていて、そんな思いや言葉が若者へのエールにつながっていけたらということで始めました。吉野さん、よろしくお願いいたします。今回は8つのテーマで聞いていきたいと思います。早速、1つ目のテーマに参りましょう。

<1>「重要な選択を迫られた時」のマイルール

吉野 基本は誰のために何のためにということで選択しますね。これまで我々にとっての一番重要な選択はJ3に入る、入らないの選択でした。2012年11月にJリーグのスタッフがうちにやってきて、2014年からJ3ができます。入りませんか? と言われました。そこからどれだけ資金が必要かとかをリサーチして、横浜でサッカーをプレーする子どもたちが1万人いて、3つめのプロクラブできることでその子たちの夢が広がるんじゃないかと。最後はここでしたね。私がこの仕事に就いたのは21歳、大学生の時で、その時からなぜ今我々のやりたいフットボールができているのかを考えてきました。地域の人の許可があるからグラウンドも借りられる。そこへの恩返しがないとだめだよねということで、誰のためにという思いがあります。

<2>「さまざまなジャンルの事柄に挑戦する時」のマイルール

吉野 これはやってみないとわからないですよね。やらずに動かないでいるよりも動きながら理解していった方がいいかなというのがあります。あともうひとつは、よく軽いって言われるんだけど、こんな私に声をかけてくれるのであればやってみようという思いです。今、私がこの地位にいるのはみなさまのおかげで、みんなの力でやってきて、たまたま理事長と社長をやっているだけ。そのことをやってみて、触れてみて初めて事実が分かって、撤退するのか出ていくのかもわかる。頭の中で考えても、やってみないとわからないというのがマイルールですね。

安彦 そうした基準は昔からずっとあったんですか

吉野 若い頃はあんまり外を見る余裕はなかったですけど、(部下の)スタッフができてくるようになってからですね。でも、やってみて続かないこともあって、英語ですね。外国人選手が入ってくるたびにやっているんだけど、なかなか続かないですね。

安彦 僕は今年のテーマに「ワクワク」を掲げているんですけど、ワクワクしないことは続かないなと感じています。たとえお金がもうかるとしても、そうした気持ちがなければ続けられない。楽しめるかどうかですよね。

<3>「成長・変化し続ける」ためのマイルール

吉野 本は買いに行きますし、おすすめされるものも手に取ります。今も「消費税は下げられる!」という本を持ち歩いて読んでいますよ。毎年、新しい選手や会員の方が入ってきますけど、子ども達を育てる親御さんも社会で戦っている人が多い。この前も電車で前にいたお母さん2人が、今から子どもの迎えに行くと言いながら、仕事の世界経済の話をしているんですよね。なので、我々も語れないといけないなと。小学校のカリキュラムでSDGsが入ってきたと聞いたので、うちの職員にも学んでもらったりしています。子どもが話せるから。そこはこちらも知らないといけないし、肥やしにして変化、成長していかないといけないですよね。

<4>「心がくじけそうになった時」のマイルール

吉野 僕はあんまりないんですよね。自分は大したことないと思っているから。もっと頑張ろうとしか思えないですからね。あるとすれば、車の中だけが自分の空間で、そこで流す音楽はチョイスします。時には大きい声で歌ったりも。あの空間だけは自分だけのオンステージですからね。人に期待しすぎることもあんまりないですし、期待してはいけないと思っています。だから裏切りを感じることもないですし、仕方ないなと。もともと自分に自信がないですから。

安彦 そのマインドは大事かもしれないですね。僕自身もとても参考になったので、これを読んでいる方にもぜひ参考にしていただきたいですね。

<5>「若い頃から貫いてきた」マイルール

吉野 人は人だと思っています。それぞれに価値観、違いがあって、押しつける必要性もない。1人1人が違うということを理解して許容できれば、平和な空間が広がるんじゃないかなと思います。もともと争いが好きなタイプではないですし、世界でいろんな事が起きているけど、それがなくなるためには相手はこうだよねと理解して、伝わればそれでいいんじゃないかなと思います。

安彦 僕は何をやるにもとにかく「全力」だなと。手を抜かない、本気というものを意識しながらやってきました。周りの目が気になるうちは本気じゃないですし、何かに没頭する瞬間や、そういうものの集大成が今の僕を生んでいます。やっぱりうまくいかなかった時は全力じゃなかったですし、どこかで逃げたり、言い訳したり、他人のせいにしたりがすごく多かったので。本当に相手がやばいなと引くぐらい、相手が引いて初めて全力かなと思いますね。

<6>「ビジネスパートナーを見極める時」のマイルール

吉野 いろんなパターンはありますし、失敗もありましたが、最後は向き合う人の人となりですね。対面してお話をしてみて、すごいなとひかれる人もいるし、ちょっと怪しいかなと思っていても、いったんは何かやってみましょうとなるし。対面で感じさせていただいて、100で付き合うのか50なのか判断することもあります。話している時によく見るのは手の動きですね。あとは角度の違う質問をした時に出る表情で見えることがあります。いろんな意味で一挙手一投足は見ているかもしれないですね。プロの選手は練習前後の行動がどうかとか、観察はします。

安彦 僕は正反対の人ですね。突っ走っちゃうので、ハンドリングしてくれるタイプ。もうひとつはこの人には裏切られてもいいやと思える人。この人ならしょうがないと。常に最悪をイメージしてやっていますね。

<7>「リフレッシュしたい時」のマイルール

吉野 先ほども言った通り、運転中の車内が重要なスペースになっています。プライベートでは映画をみたり、街に出るとか。(指導者だった)昔はクリスマスで装飾された街を見て、子どもたちにクリスマスカラーの何かをつくってあげようとか、そういうことを感じたりもしていましたね。

安彦 僕はちょっと湖に行ってみたりしますね。携帯とかも触れずに、ぼーっとできる時間をつくる。今はそれがベターになっていますね。それがあるからこそ、次に向かえる。それが整理になったり、新たなエンジンになったりします。

<8>「自分らしく」生きるためのマイルール

吉野 自分の強みって何なのかと思う時もあるけど、「次郎さん」と言われちゃうところが強みだなと思っていて。この前も(横浜の)寿町で講話をしましたが、最後も次郎さんと呼んでみなさんが集まってくるわけですよ。普通に写真撮ったりもして。その壁がない。人の話とかも聞けたりするのが自分らしさかなと思っていて。長く付き合う人には礼儀を尽くそうとか。繰り返しにもなりますが、なぜならこの地位にいるのは自分の力だけじゃないから。なるべく不義理はしない。人から言われたことはちゃんと受け止めようとか、そういうことはありますよね。

-対談を終えて

吉野 楽しい時間だったし、余計なことしゃべってないかなと。自分にうそをつかないで素直に生きることは大事なことですし、個性があっても当たり前なことをベースに、人それぞれが許容範囲を広げながら、寛容な心が広がれば良い世の中になるんだろうなと。熱いパワーを持っていることも大事ですし、1人の個人の強さは良い社会をつくっていくんじゃないかなと思うので。実りある時間でした。

安彦 今回も学びがとにかく多かったので、誰かのヒントになると思います。この対談をどんどん広げていきながら一緒に次郎さんと地域のために未来のためにやっていきたいなと思いました。

-今季へ向けて

吉野 1試合1試合大切に戦いながら、最後はJ2プレーオフにいっていることを願っています。1試合1試合を大切に戦いたいと思っていますので、ぜひ三ツ沢に応援にきていただきたいですね。

安彦 僕は格闘家として前回、前々回と悔しい負け方をしているので、次は必ず勝つと。YS横浜の所属としてユニホームも着て入場しているので、サッカーの応援も続けたいし、スタジアムでも応援していきたい。サッカーと融合したスポーツの可能性も探っていくシーズンに、その力を見ていきたいと思います。みなさんにワクワクを伝えていきます。

※対談の全容は日刊スポーツYouTubeチャンネルで随時公開中

◆吉野次郎(よしの・じろう)1965年(昭40)3月31日、横浜市出身。学生時代は自身もサッカーに励み、指導者としても活動し、NPO法人Y.S.C.Cに就職。02年に理事長就任。19年にサッカークラブを運営する株式会社Y.S.C.Cの代表取締役にも就任した。23年11月にキックボクシングチームも立ち上げ、安彦考真も所属。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算2勝1分け2敗。身長175センチ。

対談する安彦考真(後方)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談する安彦考真(後方)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談した安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談するYSCC横浜吉野次郎理事長(後方)と安彦考真(撮影・滝沢徹郎)
対談するYSCC横浜吉野次郎理事長(後方)と安彦考真(撮影・滝沢徹郎)
対談する安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
対談する安彦考真(左)とYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
YSCC横浜吉野次郎理事長と対談する安彦考真(撮影・滝沢徹郎)
YSCC横浜吉野次郎理事長と対談する安彦考真(撮影・滝沢徹郎)
安彦考真と対談するYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)
安彦考真と対談するYSCC横浜吉野次郎理事長(撮影・滝沢徹郎)