◆三沢光晴選手年譜◆

 ◆生まれ

 1962年(昭37)6月18日、北海道夕張市生まれ。(出身地はその後に移り住んだ埼玉県越谷市になっている)

 ◆81年3月

 足利工大付高卒業後、全日本プロレス入り。

 ◆同8月21日

 浦和競馬場正門前駐車場特設リングでデビュー。越中詩郎に敗北。

 ◆84年3月

 越中詩郎とともにメキシコ遠征。リングネームは「カミカゼ・ミサワ」。

 ◆同7月31日

 正体を隠し2代目タイガーマスクとして日本凱旋(がいせん)。

 ◆85年8月31日

 小林邦明を破り、NWA認定インターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得。

 ◆同10月28日

 ジュニアのタイトル防衛後、ヘビー級に転向。

 ◆88年5月10日

 女優の椎名友美さんと東京・稗田神社で挙式。

 ◆90年5月14日

 東京体育館大会でサムソン冬木、谷津嘉章組と対戦中(パートナーは川田)にマスクを脱ぎ、素顔の三沢光晴に戻る。

 ◆同7月27日

 3冠ヘビー級王座に初挑戦も、王者スタン・ハンセンに敗れる。

 ◆91年7月24日

 石川県産業展示館大会で川田利明と組んで、ウイリアムス、ゴディ組を破り、世界タッグ王座初奪取。

 ◆92年8月22日

 スタン・ハンセンを24分4秒、体固めで下し、4度目の挑戦で3冠ヘビー級王座を初奪取。馬場、鶴田時代から、川田、田上、小橋との四天王時代に世代交代。

 ◆99年5月

 同年1月に逝去した恩師ジャイアント馬場氏の追悼興行後、全日本の社長に就任。

 ◆00年5月

 オーナーの馬場元子氏との確執が表面化し、社長を辞任。6月の取締役会で取締役も辞任し、その後、退団する。

 ◆同6月16日

 三沢氏を慕い、全日本を退団した選手、スタッフとともに新団体「プロレスリング・ノア」を設立。

 ◆同8月5日

 ディファ有明で旗揚げ戦開催。

 ◆01年4月

 新設された団体の最高峰ベルトGHCヘビー級王座決定トーナメント決勝で高山善広を下し、初代王者となる。

 ◆04年7月10日

 ノアとして初の東京ドーム大会を開催し大成功。

 ◆07年12月

 デビュー26年で初めてプロレス大賞最優秀選手賞を獲得。

 ◆09年6月13日

 広島大会の試合中に頭部を強打し、病院に救急搬送も死去。