現役最年長関取の東前頭3枚目玉鷲(片男波)が、“鉄人V”を果たした。

負ければ優勝決定戦にもつれ込む西前頭4枚目高安との一番を押し出しで制し、19年初場所以来2度目の優勝。37歳10カ月での優勝は、12年夏場所での旭天鵬の37歳8カ月を抜いて昭和以降最年長優勝。9日目には連続出場記録で歴代3位を記録。衰え知らずの鉄人が、混戦場所を制した。

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肩周りに張りがある上、肌つやもいい。15日間を戦い抜いたとは思えないほど、玉鷲の体は元気だった。「皆さまが熱い応援をしてくれるので、それに応えるためにやりました」。10日目からの首位を守り抜き、昭和以降では最年長となる優勝を果たした。

大関経験者を圧倒した。立ち合いで迷いのない鋭い踏み込みから、右のおっつけで高安の体勢を崩す。食い下がられたがうまくいなして、左に動いた相手に即座に反応。左、右、左。リズミカルなのど輪3連発で初優勝の夢を打ち砕いた。「何が何でも、自分の相撲を取ろうと思いました」。会心の一番だった。

秋場所前の東京・墨田区、片男波部屋。「天才ではないので」。玉鷲は朝稽古後に謙遜した。その工夫とは-。稽古相手との番付差を考慮し、師匠の片男波親方(元関脇玉春日)が考案した、1対2で相撲を取る稽古だった。この稽古は正面から2人、正面1人と右側1人、正面と後方に1人ずつ、3パターンの仕切りで行う。序ノ口と序二段相手とはいえ、簡単ではない。初めて行った3月の春場所前ごろには、横から攻めてくる相手に手だけを伸ばして対応し肩を負傷した。

狙いを、片男波親方は「どんな体勢からでも、反撃できるように」と明かす。しかし、玉鷲の捉え方はひと味違う。「相手の体の中心に、自分の体をしっかり合わせないといけない」。負傷して基本に気付いた。基本を守りつつ、変則稽古で鍛えて得たものがもう1つある。「土俵が丸いのは分かっているけど、天才ではない。体に覚えさせるというか、考えずに体が動くというか」。本来ならば加齢とともに衰えるとみられる空間把握能力、状況判断力も磨き抜いた。

体はもちろん、心も元気だ。名古屋場所前に当時最年長関取だった元小結松鳳山が引退した。電話で話すと、「40歳までやろう!」とエールをもらった。ただ、感謝の思いと少しの違和感が残った。「相撲の内容ではなく、“40歳まで”という方向は違う。僕の中では、お客さんたちが見て良かったなと思える相撲が取りたい」。真摯(しんし)に相撲に向き合う。

1横綱、3大関を総なめするなどし、2度目の殊勲賞。優勝に花を添えた。37歳10カ月と、5番目の高齢での受賞だった。引き際について、「お客さんに面白くないと思われたら」と答える。その日はまだまだ遠そうだ。11月に38歳を迎える鉄人の相撲道は、まだまだ続く。【佐々木隆史】