関脇豊昇龍(24=立浪)が名古屋場所で初優勝し、モンゴル出身として7人目の大関昇進を確実にした。

26日に正式決定する大関昇進を前に、叔父で元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏譲りの心身の強さの原点を「“新大関”豊昇龍の素顔」と題して連載する。

 

豊昇龍は2015年の来日当初、日本語を書くことはもちろん、話すことすらままならなかった。不慣れな言葉を習得する上で力になってくれた母校日体大柏高で日本語講師を務める岡田有美子氏には「最初はあいうえお、カタカナを覚えるところから始まって、すごくお世話になった」と今も感謝を惜しまない。

校外学習での課題、夏休み中にモンゴルに一時帰国した時の思い出を紹介する日記、あいさつなどの日常で使う単語帳…。岡田氏は、高校時代の豊昇龍がびっしりと書き取った日本語のノートなどを眺めると、当時の記憶がよみがえってくるという。文法に従って話すことは苦手でも、臆せずに自分の意思を伝えることをいとわない姿に「ビャンバ(本名ビャンバスレン)は日本語を覚える時も負けず嫌いなんですよ」と笑う。

それを物語るのが、2017年3月、柏市で行われた外国人による日本語スピーチコンテストだ。志願して出場した豊昇龍は、モンゴルの学校生活にある「先生の日(生徒が教員役、教員が生徒役になって1日を過ごす学校行事)」についてスピーチした。岡田氏と一緒に練り上げた自信作だったが、入賞に届かなかった。その落胆ぶりは「私の方が力になれなくて申し訳なく思うほど悔しがっていました」という。「負けず嫌いは相撲だけじゃないんです」と感心した。

卒業前の授業で、再びスピーチする機会が巡ってきた。その際に「この3年間で先生方のおかげで日本語ができるようになりました」と感謝の言葉を述べた教え子の姿を思い返し、岡田氏は「あの子は感謝の気持ちを口にしたり、書いたりすることを決して恥ずかしがらない」としみじみと実感した。

あれから5年余りがたち、教え子の日本語は「格段にうまくなっている」と上達ぶりに目を見張る。そして「土俵上のあの険しい顔よりも、優勝が決まった瞬間の涙やインタビューで見せた笑顔の方が私の知っている彼に近いものがあります」と懐かしんだ。

看板力士にまで上り詰め、教え子の言動はがぜん世間の注目を集める。何を、どんな言葉で紡ぎ出すか。日本語を教えた身として大きな責任を感じると同時に、その活躍に刺激をもらっている。【平山連】

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