関脇豊昇龍(24=立浪)が名古屋場所で初優勝し、モンゴル出身として7人目の大関昇進を確実にした。

26日に正式決定する大関昇進を前に、叔父で元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏譲りの心身の強さの原点を「“新大関”豊昇龍の素顔」と題し、3回連載で紹介する。

出会いから強烈だった。元日体大柏高相撲部監督で「柏相撲少年団」代表の永井明慶氏(41)は、スポーツ留学生のスカウトのため訪れたモンゴルで目にした少年に驚かされた。周辺地域から30人以上の実力者が集まった中で、体重60キロほどのきゃしゃな少年は「常に何かと戦っている感じで、目がギラギラと光っていた」と異彩を放った。当時15歳のスガラグチャー・ビャンバスレン、後の豊昇龍。元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏のおいと聞いて納得した。

細身ながら抜群の運動神経を買われ、レスリング選手として15年に来日。間もなく校外学習で大相撲観戦した時の興奮が忘れられず、永井氏に懇願して相撲に転向。同年5月26日、稽古場で初めてまわしを締めた教え子の写真を懐かしそうに見せながら、永井氏は「あそこから始まった。彼にとって記念すべき瞬間でした」としみじみと言った。

史上4位の25度の優勝を誇る大横綱の血筋だからといって、特別扱いはしなかった。「最初の頃は『オレのおじさんは朝青龍だぞ』ような態度がありましたが、それは違うと言って同じように接しました」。まだ何者でもない少年に自覚を促すと、次第に傲慢(ごうまん)な態度もなくなった。当時から極度の負けず嫌い。「稽古でも『もう一丁、もう一丁』とやめようとしない」と舌を巻いた。「努力を続けてきたからこそ、今の地位まで上り詰めた」。自慢の教え子の活躍を喜んだ。【平山連】

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