演歌・歌謡曲の世界で「第7世代」と呼ばれる若手歌手が台頭しています。日刊スポーツ・コムでは「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」と題し、音楽担当の笹森文彦記者が、若手歌手を紹介していきます。今回から、細川たかし(71)の弟子で、歌唱、三味線、尺八の三刀流で活躍する彩青(りゅうせい=19)の登場です。

腕を組みカメラをじっと見つめる彩青(撮影・河野匠)
腕を組みカメラをじっと見つめる彩青(撮影・河野匠)

彩青は、新時代の幕開けといえる令和元年の6月26日、股旅演歌「銀次郎 旅がらす」(作詞・高田ひろお、作曲・四方章人、編曲・伊戸のりお)でデビューした。16歳だった。

同曲は「津軽海峡 ヨイショと越えりゃ 波が待ったと 通せんぼ はぐれ者(もん)です…俺(おい)ら 股旅 銀次郎」と歌う。

「股旅」とは、博徒や芸人などが諸国を股にかけて旅して歩くこと。その情景や心情を通して、人生の指標や心意気などを描くのが股旅演歌で、演歌の主要なテーマの1つだ。「旅姿三人男」(ディック・ミネ)「大利根月夜」(田端義夫)「潮来笠」(橋幸夫)など昭和の名曲の他、平成では「箱根八里の半次郎」(氷川きよし)が大ヒットした。「銀次郎 旅がらす」は令和の新作で、軽快なメロディーに乗って、聴く者に元気を届けた。

彩青 まだ16歳でしたので、細川たかし師匠も「16歳でお酒とか恋の歌はないだろう。若い力で頑張っていくぞ、というのがデビュー曲には一番いい」と言ってくれました。デモテープを聴かせていただいて、何と明るい曲に巡り合えたんだろうって、すごくうれしかったです。

彩青のデビュー曲「銀次郎 旅がらす」のジャケット
彩青のデビュー曲「銀次郎 旅がらす」のジャケット

第2弾は「津軽三味線ひとり旅」(作詞・冬木夏樹、作曲・四万章人、編曲・伊戸のりお)で、20年5月13日に発売された。

「雪がしんしん 凍(しば)れてつもる 三味を抱きしめ ながれ旅」と歌う。

人家の門前に立って芸能を見せて報酬を得る「門付(かどづけ)」として独立し、風雪に耐えながらひとり旅を続ける若者の心情を歌う。歌詞だけを見るとつらい情景を思い浮かべるが、高音が響く独特の歌唱で元気に歌い上げる。

「銀次郎 旅がらす」では、イントロや間奏で自ら尺八を吹いた。尺八を吹きながら歌う演歌歌手は異色だ。「津軽三味線ひとり旅」では、三味線を弾きながら歌った。5歳の時から民謡を学び、三味線や尺八の稽古を今も続けている。その成果が歌唱、尺八、三味線という三刀流を実現させた。

彩青 ある意味、新スタイルで頑張っています。尺八も三味線も好きでやっていましたから、まさか歌手デビューして一気に両方ともできるは思わなかったです。デビュー前は、いろんな先輩のCDを買って、自分が聴いていましたけど、いろんな方に逆に聴いてもらうようになって、自分でもすごいなって思っています。

新スタイルが評価され、19年末の日本レコード大賞で新人賞を獲得。勢いに乗って、第2弾でさらに飛躍を狙ったが、新型コロナウイルス感染症が立ちはだかった。どの歌手も同じだったが、彩青もキャンペーンや発表会がほぼ全滅と言っていいほど中止になった。しかし、スタッフも本人も「津軽三味線ひとり旅」はいい作品と確信していた。コロナ禍ではあるが、この曲を歌い続けたいと今年2月3日に「津軽三味線ひとり旅『青春十八番盤』」として再発売した。

彩青の「津軽三味線ひとり旅『青春十八番』盤」のジャケット
彩青の「津軽三味線ひとり旅『青春十八番』盤」のジャケット

彩青 本来ならだいたい1年で新曲を出すのが普通なんでしょうけど、私の三刀流を生かした、いい歌ができたと思っていましたので、もっと頑張って、聴いていただき、浸透させたいと思っています。

実は彩青は芸名ではない。デビュー直後は、誰もが芸名と思い、「何と読むの」と聞かれることも多かった。今では、ファンはもちろん、一般的にも「りゅうせい」と認識されているが、日本中を熱狂させたある大イベントがその由来だ。

本名は横田彩青。02年8月29日に、北海道岩見沢市で生まれた。02年は日韓共催のサッカーW杯が行われた年。会社員の父(49)は広島出身で、かつてJリーグのサンフレッチェ広島関連のユースチームに所属していた。プロサッカー選手を夢見たが、北海道の大学に進学。そのまま北海道で就職して結婚した。

彩青 父はサッカーが大好きでした。日韓共催のワールドカップで、日本中が日本代表のサムライブルーの青で彩られた光景に感動したそうです。その年に僕が生まれ、日本代表のように輝いていくような人になって欲しいと、「彩る」と「青」で彩青と名付けてくれたんです。自分でもすてきな名前と思っています。細川師匠も「彩青っていいね」と言ってくださって、そのまま彩青の名前でデビューしたんです。

普通なら父の影響や名前の由来から、サッカーにのめり込みそうだが、興味を持ったのは民謡だった。

彩青 サッカーボールが転がって来ると逃げるような子でした。危ない!これにぶつかってはいけない!みたいな(笑い)。それで父も「向いてないな」と思ったみたいで(笑い)。家族や親族に民謡や演歌をやっている人はいませんでしたが、両親がよさこいソーラン祭りのチームで踊っていて。僕は踊りよりも、トラックの上で歌う歌手に憧れた。あの場所で歌いたいって。それで5歳から民謡を習い始めたんです。

最初は恥ずかしくて歌えなかったが、徐々に楽しくなり、その才能は一気に開花する。そして師匠となる細川たかしとの運命の出会いが訪れる。(つづく)

インタビューで笑顔を見せる彩青(撮影・河野匠)
インタビューで笑顔を見せる彩青(撮影・河野匠)

◆彩青(りゅうせい) 本名・横田彩青。2002年(平14)8月29日、北海道生まれ。民謡は正調江差追分北優会で、三味線は三味線研究会夢紘座で学ぶ。中学時代は五線譜も読めるようになりたいと、吹奏楽部でクラリネットを担当。日本郷土民謡民舞協会の第53回青少年みんよう全国大会で小学生日本一。全道民謡決勝大会で幼年の部、少年少女の部、江差追分の部の3冠達成。どさんこ甚句全国大会、北海盆唄全国大会など大小50以上の大会で優勝。NHK「民謡魂 ふるさとの唄」など数々のテレビ、ラジオ番組に出演。趣味は楽器集め、レコード収集、尺八作り、裁縫。両親と祖母の4人家族。167センチ。血液型A。

◆第7世代 もともとは若手芸人が18年ごろに提起した、主に10年以降にデビューした芸人の総称。これを機に第1世代(コント55号、ザ・ドリフターズら)から第7世代までの世代区分が生まれた。この発想を戦後歌謡界に当てはめたのが演歌・歌謡曲版。デビュー年や初ヒット年を参考に、第1世代が「春日八郎、三橋美智也、三波春夫、村田英雄」ら。第2世代が「美空ひばり、島倉千代子、橋幸夫、北島三郎、舟木一夫」ら。第3世代が「森進一、千昌夫、五木ひろし、都はるみ、水前寺清子、大月みやこ、八代亜紀」ら。第4世代が「石川さゆり、小林幸子、川中美幸、坂本冬美、伍代夏子、香西かおり、藤あや子、細川たかし、吉幾三」ら。第5世代「水森かおり、氷川きよし、北山たけし」ら。第6世代が「山内恵介、三山ひろし、福田こうへい、市川由紀乃、丘みどり」ら。

◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ) 札幌市生まれ。早大第1文学部心理学科卒。1983年(昭58)入社。文化社会部で長年音楽記者。初代ジャニーズ事務所担当。演歌・歌謡曲やアイドルだけでなく、井上陽水、矢沢永吉、松山千春、長渕剛、アリス、中島みゆきら数多くのミュージシャンをインタビュー。93年から日本レコード大賞審査員、16年に審査委員長。テレビ朝日系「ワイド!スクランブル」「スーパーモーニング」、テレビ朝日系東北6県番組「るくなす」、福岡放送「めんたいワイド」などにコメンテーターとして出演。座右の銘は「鶏口牛後」。血液型A。