乃木坂46、4期生の林瑠奈です。



【超個人的拡大解釈失恋ソング】



私は乃木坂46のトークアプリで、

「きょうの一曲」という企画を続けている。


単純なもので、

ほとんど毎晩きょうの一曲と題し、

その日の私の気分で曲を選び

それを送るというもの。


以前選んだPK shampooの

「夜間通用口」に対して

私はこんな風に書いている。


「この曲の『君』は自分自身で、

それは過去の自分であったり、

自分の真意を隠そうとしている

自分だったりする」




あえてこの言葉を使うのだが、

所謂順張りをするのであれば、

この曲は失恋を歌っている歌だ。


失恋ソングの歌詞というと

「君僕構成」が一般的。


この「君僕構成」は完全なる私の造語だが、

失恋ソングは主人公である〝僕〟、

つまり自分がいて、

恋人や好きな人を〝君〟に当てはめて聴く。


そういう楽しみ方をしている人が

多いんじゃないだろうか。


だから、失恋ソングが

「共感性が高い」という評価を

受けがちなのは、


歌詞の中で、聴いている自分だけでなく、

君という他者にも

自分を取り巻く関係性を

あてがうことができるからだと、

私は思うわけだ。


それを踏まえると、

私は失恋ソングを

そういった意味での聴き方はしていない。


していなすぎて、夜間通用口を

失恋ソングと括ってしまっている

今の状況にも若干の抵抗がある。

(個人の見解個人の見解個人の見解)


もう一曲、順張りで聴いていない曲として、

くるりの「東京」。


この曲も君僕構成になっているが、

私は「君」に自分を当てて聴いている。


自分というのはいくつもあって、

これは人に見せる

多面的な自分のことでもあれば、

過去現在未来

それぞれの時制に属する自分のことでもある。


自分が沢山いる。



私は、沢山いる自分の中で、

過去を受け入れようとする自分と

過去を切り捨てようとする自分が

共存している。


共存しているけれど、

それぞれの自分が

しっかりとした個を持って存在する。


「過去の自分が今の自分を作る」

とはよく言ったもので、

勿論その通りだと思ってはいるが、


私にとって過去の自分は、

今もその時の自分のまま生き続けていて、

どこかで過去の私と今の私が

分裂した瞬間があったと思うのだ。


影響は与えていても、

残り続けているわけではなく、

どこかで具体性を失って記憶と化している。


だから私は、時間経過によって

形骸化した過去を思い出したとき、

無かったことになっていたものが

急に姿を見せた感覚になり、

それを切り捨ててしまおうとか

忘れてしまおうと考えてしまう。


向き合うことをやめたとき、

時間の進みは早くなり、

過去の形骸化が始まる。


私は私と向き合いたいのだと思う。


乃木坂の活動を休んでいた間、

そして今も、

私が内省的なことしか

書けなくなっているように思うのは、

今までのこと全部を無かったことにせず、

一つ一つをしっかりと受け入れたいからだ。


私が、

夜間通用口の〝君〟に重ねていたのは

過去の自分ではなくて、

本当は過去の自分を切り捨てようとする

今の自分だったのかもしれない。


私は、私を受け入れられない私と

さよならをしたいのだ。


「東京」より


「君が素敵だった事

ちょっと思い出してみようかな」



比較的都心部で育った方ではあるけれど、

気づけば私は、

上京したように東京の街に溶けてきた。


同窓会の知らせが届き、

まだ半袖を着ている人もいるのに、

もうあっという間に年が明ける。


五年、十年先のことを考えるより、

五年、十年前のことを忘れたくない。