大阪の花街の再興に強力な助っ人が現れました。中国などからの訪日外国人観光客(インバウンド)です。大阪・ミナミで唯一残るお茶屋「島之内 たに川」で、このほど関係者に芸妓(げいこ)のお披露目が行われました。大阪・ミナミでは、11年ぶりの若手芸妓の誕生。お披露目には中国人向けの情報誌の編集者も訪れました。

左から多美鶴さん、玉幸さん(撮影・松浦隆司)
左から多美鶴さん、玉幸さん(撮影・松浦隆司)

客をあげ、宴席の座席を提供するのが「お茶屋」です。大阪では江戸時代から、新町、堀江、南地(なんち)、北新地の4つの花街が栄え、戦前には数百軒のお茶屋が並び、約2500人の芸妓がいたとされます。

かつては隆盛を誇った大阪の花街ですが、お茶屋は次々と消え、大阪では北新地に2軒、南地と呼ばれたミナミに1軒だけになりました。

「たに川」の若旦那、谷川恵さん(45)はお披露目の冒頭で大阪の花街の現状を説明しました。

「長らく会社の接待のご利用で1年間の予約は埋まっていたのですが、景気低迷もあり、会社のご利用がずいぶんと減っています。個人様のご利用も減っています。一方で外国からの観光客の方が増えています。とくに中国の方、韓国の方のお座敷が増えています」 「たに川」は基本的に「いちげんさんお断り」。それでも中国人観光客らの「お茶屋遊びを体験したい」という強い要望があり、ホテルや旅行会社からの紹介あれば柔軟に対応しています。谷川さんによると、かつては年に1、2回でしたが、いまは月に2回以上のお座敷があるそうです。

「とくに中国の方は白塗りの芸妓さんに興味津々です。いろいろなことを聞いてこられます」

お披露目に出席した左から谷川恵さん、八重鶴さん、多美鶴さん、玉幸さん(撮影・松浦隆司)
お披露目に出席した左から谷川恵さん、八重鶴さん、多美鶴さん、玉幸さん(撮影・松浦隆司)

お披露目の取材に来ていた中国人向け情報誌の編集者は「お座敷で本物の芸妓さんに会えることは中国人にとってすごく価値があることです」。芸妓と言えば、京都のイメージが強いですが「大阪にも地元の芸妓さんがいることをもっと多くの観光客が知れば、大阪観光の魅力の1つになると思います」と話します。

インバウンド効果をさらに高めるための若い力も加わりました。新人芸妓としてデビューしたのは、奈良県出身の玉幸(たまこ)さん(20)、大阪出身の多美鶴(たみづる)さん(24)です。

昨年6月から芸妓見習いを続けていた玉幸さんは「中学生から続けていた日本舞踊を仕事にしたいと思い、インターネットで調べて芸妓に興味をもつようになりました。大阪は若い芸妓がいなかったので、大阪の伝統文化を継承していけるように頑張りたいです」。 舞踊を披露した多美鶴さんは「大阪の伝統文化を残したい。みなさんと触れ合ってすてきな芸妓さんになっていきたい」と抱負を語りました。

これまで芸妓は北新地に6人、ミナミに1人でした。若い2人が加わり、ミナミは3人になりました。お披露目には2人の先輩で、三味線や長唄を専門とする芸妓「地方(じかた)」の八重鶴(やえづる)さんも出席しました。心強い助っ人に「これまで1人でしたが、2人がきてすごく楽しい。いっしょに頑張ってやっていきたい」。

お披露目で舞踊を披露した多美鶴さん(左)と三味線をひく八重鶴さん(撮影・松浦隆司)
お披露目で舞踊を披露した多美鶴さん(左)と三味線をひく八重鶴さん(撮影・松浦隆司)

お茶屋文化は舞踊(上方舞)、唄、三味線などの伝統文化が融合し、継承されてきました。大阪は、京都のお茶屋文化とはひと味違うと言われています。

平成から令和に元号が変わり、令和元年に大阪に誕生した2人の芸妓。新しい時代に多美鶴さんは「大阪の伝統芸能の魅力を伝えるにはSNSをはじめ、いろいろな方法があると思います。残すべき伝統文化は残し、変化するところは変化する。メリハリを持っていきたい」。頼もしい限りです。

失われた輝きを取り戻すには困難を極めますが、谷川さんは言います。「長い時間をかけ、女性たちが主となり培ってきた繊細でやわらかな文化。なんとしても守っていきたい」。その一方で、変化も必要です。「みなさんに相談しますと伝統を守るのも大事だけど、『たに川さん流』でいいんじゃないのと言ってもらえます。新しい時代に合わせて、しなやかに強く、残っていけたらと思っています」。

20歳の玉幸さんは、谷川さんが大阪の花街文化を知ってもらおうと始めたブログがきっかけとなり、芸妓の見習いを始めました。ブログ発の「南地芸妓」はこう言います。「少しでも伝統文化を知ってもらいたい。きょうからインスタを始めます」-。

【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)