A.B.C-Z河合郁人(31)は、1987年(昭和62年)に生まれた。母親が少年隊の大ファンだったことがきっかけで自分自身もジャニーズにハマり、ジャニーズ事務所いちのジャニーズ好きアイドルとなった。ジャニーズ好きエピソードには事欠かない。

生まれた時から家ではジャニーズアイドルの曲がカセットデッキから流れていて、2~3歳の頃から音楽に合わせて歌って踊っていたという。「記憶の中で一番古いジャニーズの曲は忍者さんの『お祭り忍者』です」。幼稚園の時にはクリスマスプレゼントで、サンタさんからカラオケ付きの大きなおもちゃのマイクをもらった。付属のカセットに入っている童謡などは歌わず、ひたすらジャニーズの曲を歌っていたという。

小学校入学後も、ジャニーズ愛は冷めることなく、熱を増していく。運動会の応援団長を務めた時には、団長の権限で「応援合戦は、ジャニーズの曲じゃないとやらないよ!」と主張。テレビ番組を録画してV6の「Can do! Can go!」の振り付けを覚えて、覚えたダンスを応援団たちに教え、運動会で披露したという。

小学校で河合のジャニーズ好きは有名だったという。「親友を引き連れて、ユニット作っていたんですよ。郁人(ふみと)と、だいすけと、ゆうとで、頭文字をとって『FDY(フディー)』っていう名前で。だから、KAT-TUNよりも先に、頭文字ユニット作ってたんですよ!」と笑う。さらに、地元の後輩たちを「FDYキッズ」として集め、ジャニーズJr.的立ち位置で一緒に活動していたという。

小学校で一世を風靡(ふうび)した? 「FDY」だったが、次第に活動も少なくなっていったという。「やっぱり、みんな離れていっちゃいましたね。僕のジャニーズ熱が強すぎたのかもしれません」。それでも、母親からは常に応援してくれたという。「母親も自分がアイドルになりたかった人なんですよ。だから、僕のジャニーズ好きも、ジャニーズなりたいっていうことも、一度も否定されたことはなかったですね」と感謝する。

その後、小6だった99年にオーディションに参加し、念願のジャニーズ入りを果たした。Jr.期間の下積みを経て、12年にA.B.C-Zとしてデビューした。「今でもジャニーズの曲が大好きですよ」と言い切り、先輩タレントと話す時は緊張するという。

「僕は平成ずっとジャニーズ大好きでした。元号が変わっても、皆さんを飽きさせないジャニーズでいたいです。新しい要素も取り入れながら、かっこいいジャニーズらしさも残していけたら、ファンの皆さんもうれしいんじゃないかなって思います」

昭和の終わりに生まれ、平成をまるまるジャニーズにささげた。夢をかなえたジャニーズ大好きのジャニーズアイドルは、元号が「令和」なってもファンに夢を与え続ける。【横山慧】