毎年恒例の上方落語ファン感謝祭「彦八まつり」が8月31日、大阪市天王寺区の生国魂神社で初日を迎えた。この日午後、最初の奉納落語会には、桂福団治(78)桂ざこば(71)らベテランが出演。座談会で、戦後、復興を遂げる途上だった入門時を振り返った。

戦争をはさみ、ほぼ没落しかけていた上方落語を復興させたのが故6代目笑福亭松鶴さん、故3代目桂米朝さん、故3代目桂春団治さん、故5代目桂文枝さんで、「上方四天王」とたたえられる。福団治は春団治さん、ざこばは米朝さんの現存筆頭弟子で、貴重な顔合わせとなった。

福団治は61年、春団治さんに入門。当時、上方のはなし家は17人だったといい、米朝さんに師事した故桂枝雀さんと同時に入門。福団治は「先にペンをとった(書類を書いた)ので、私が18人目になった」そうで、枝雀さんでやっと19人目を数えたという。

中学時代から米朝さんのもとへ通い、63年に入門したざこばは「僕が入った時は20人くらいやった」。座談会の進行を務めていた笑福亭鶴瓶の弟子、笑福亭銀瓶(51)が「増えてない」とつっこむと、ざこばは「やめる人や、亡くなる人も多かったからな」。衛生環境に加え、大阪・天満天神繁昌亭や、神戸新開地・喜楽館などの劇場がある現在と比べて過酷だった環境を明かした。

上方落語協会員も270人を超えるまでになった現在では、古典落語とともに、6代桂文枝らが手がける創作(新作)落語が、はなしの2本柱になっている。だが、福団治、ざこばらの入門当初は、古典こそが王道だったといい、ざこばは動物をネタに笑わせる「動物いじめ」を高座にかける際、米朝さんには「一切言わんかった」そうだ。

ただ、米朝さんは、朝丸時代のざこばが「動物いじめ」をかけていることを聞き知り「なんやそれ、落語せえ。やめてまえ」。その裏では創意工夫を凝らす弟子に目を細め「おもろいな」と漏らしていたこともあったと、ざこばはうれしそうに振り返った。

福団治も小ばなしをつなぐ「ペケペン落語」を考案。3代目春団治一門では、物事は必ず師匠に報告するルールがあり、福団治は春団治さんに「2年間だけやらせてくださいと訴えた」と語った。

そんな中でも、異端を極めていたのが、昨年3月に80歳で亡くなった月亭可朝さん。米朝一門でも最古参弟子だったが、奔放さゆえに「月亭」を名乗って“独立”した経緯もあり、上方を代表する異色落語家だった。この日は、その可朝さんの「嘆きのボイン」も流し、福団治、ざこばともに懐かしんでいた。