かつて日刊スポーツ紙面に掲載した音楽連載「歌っていいな」をニッカンコムで初公開します。心に残る名曲やヒット曲の誕生秘話、知られざるエピソードを紹介した連載で、1996年、1997年に合わせて56曲を掲載しました。時は流れましたが、各曲にまつわるエピソードの感動や驚きは、まったく色あせていません。

第1回は坂本九さんが歌った名曲「上を向いて歩こう」です。新型コロナウイルスが猛威をふるった4月、医療従事者への感謝を伝え、不安を感じる人たちを励ますため、演出家の宮本亜門氏の呼び掛けで、大竹しのぶ、市村正親らが同曲を歌う動画を公開。さらに、五木ひろし、八代亜紀ら大物歌手16人が同曲を歌いつなぐ動画も公開されました。翌5月には、国際協力機構(JICA)が派遣する青年海外協力隊員が「日本から世界に元気を届けたい」と、世界18の言語で歌う動画を発信して話題になりました。

今回は、タイトルにまつわる秘話や米国での大ヒットにつながるまでの軌跡が明かされます。

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日本は米国に次ぐ世界第2位の音楽市場を持つが、米国のチャートをにぎわす日本人アーティストはいない。しかし1963年(昭38)、米音楽専門誌ビルボードのチャートで3週連続1位を獲得した曲がある。坂本九さんが歌った「SUKIYAKI」こと「上を向いて歩こう」である。

61年10月に発売された「上を向いて歩こう」は、海外カバー曲を歌うグループ「ダニー飯田とパラダイスキング」のメインボーカルだった坂本さんのソロ歌手として最初のオリジナル曲だった。作曲した中村八大さんが自分のリサイタルで披露するために作り、歌手として坂本さんを指名した。そして、作詞した永六輔さんが構成作家、中村さんが音楽を担当していたNHK音楽バラエティー「夢で逢いましょう」の「今月のうた」として毎週テレビで流れるようになると、3カ月で売り上げが35万枚を突破する大ヒットになった。坂本を担当していたディレクターの草野浩二さん(当時東芝レコード)は「絶対に売れると思ったね。切ない歌詞とポップス調のメロディーがマッチしていたからね」と言う。

英国のレコード会社「パイレコード」の社長ルイ・ベンジャミンさんは62年春、コロムビアレコードとの契約のために来日した。商談を終え、当時コロムビアレコード洋楽部長だった金子秀さんの案内で、東京・浅草で食事をした。2人で食べたのは「すき焼き」だった。金子さんは、日本でヒットしたレコード数枚をおみやげとして渡し、ベンジャミンさんは帰国した。そのレコードの中に「上を向いて歩こう」が含まれていた。帰国後に聴いたベンジャミンさんはそのメロディーを気に入り、ジャズマンのケニー・ホールさんにインストゥルメンタル(演奏のみ)で録音させた。

しかし、問題が1つあった。元のタイトルが英国のDJたちに発音できそうになかった。そこで思い浮かんだのが、日本で初めて食べた「すき焼き」だった。もし、ベンジャミンさんが「天ぷら」や「すし」を食べていたら「TENPURA」「SUSHI」というタイトルになっていたかも知れない。こうしてジャズ盤「SUKIYAKI」がリリースされ、63年1月には全英10位を記録した。

その後、米ワシントン州のラジオ局のDJリッチ・オズボーンさんが英国のヒット曲として「SUKIYAKI」を流したところ、日本人と文通していた高校生のリスナーから「同じメロディーの日本のレコードがある」という電話があった。坂本さんが歌うオリジナル盤だった。借用したオリジナル盤を夕方の番組で流したところ、たちまち大反響が起こり、人気は州全体に広がった。

東芝と業務提携していた米レコード会社「キャピトル」が配給権を獲得。タイトルは「SUKIYAKI」のまま、坂本九が歌うオリジナル盤を63年5月に発売した。よくタイトルの意味を理解していなかったので、初回プレスのレコード盤には、何と「SUKIYAKA」という間違ったタイトル名が入れられた。発売されるといきなりヒットチャート79位に登場。4週間後にベスト10入りし、ついに同年6月15日付で1位に上りつめる。草野さんは「米国チャートの1位と言われても、『あっ、そうなんだ』という感じで、まるで人ごと。曲だけが独り歩きしていたんですよ。タイトルもなぜ『SUKIYAKI』なのか九ちゃんも私たちも分からなかった」と話す。

その後、米国内のハイティーンからの数百通のファンレターが届いたり、巨額の印税が振り込まれるに至ってようやくその“偉業”を実感する。さらに当時「エド・サリバンショー」と人気を二分していた米テレビ番組「スティーブ・アレン・ショー」出演のため坂本さんが渡米すると、ロサンゼルス空港には5000人のファンが待ち構えていた。

62年にデビューしたザ・ビートルズが「アイ・ウォント・トゥ・ホールド・ユア・ハンド」で初めてビルボード1位になったのは、「SUKIYAKI」のチャート1位から8カ月が過ぎた64年2月のことだった。【特別取材班】

※この記事は96年12月21日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。今後の毎週日曜に配信します。