1975年(昭50)にシングル「わかるかなぁ わかんねぇだろうなぁ(夕やけこやけ)」で160万枚の大ヒットをとばした漫談家の松鶴家千とせ(しょかくや・ちとせ)さん(本名小谷津英雄=こやつ・ひでお)が17日、心不全のため都内の病院で死去した。84歳。最後までトレードマークのアフロヘアにあごひげ、サングラス姿で舞台に立ち続け、現役の芸人のままであの世へと旅立った。

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昭和、平成、令和と現役で舞台に生きてきたレジェンド芸人が、この世にグッバイした。千とせさんは、先月28日に風邪をひいた際、心筋梗塞を起こして入院。バイパス手術のための検査を予定していたが、17日朝に容体が急変したという。葬儀は19日に近親者だけで行われる。

先月16日にはホームグラウンドの東京・浅草の木馬亭で主催ライブ「うたとお笑い」を開き、YouTubeで動画を配信。今月27日にも公演を予定するなど、入院直前まで精力的に活動していた。ライブを開催して後輩や一門の芸人に活動の場を与える一方で、現役バリバリの芸人として一昨年からアイドル演歌歌手恵中瞳(33)をプロデュース。先月26日には恵中とのユニット「千とせ&ひとみん」で新曲「CH列車で行こう!」「キャンユーアンダースタンド?」をCD発売したばかりだった。

今年4月15日には50年続けてきたチャリティーコンサートを「寿51年全国さつまいもの会」と題して開催を予定。「今年は寅年、年男だからね新曲をどんどん売ってもっとステージに立って歌っていきたいね。イェ~イ」と、さらなる芸能活動に意欲を見せていた。

千とせさんは、福島・原町市(現南相馬市)から、53年にジャズシンガーを目指して上京、夫婦漫才の松鶴家千代若・千代菊に入門した。歌手修業を積んでいたが、60年に漫才コンビ、西秀一・秀二でデビュー。67年に漫談千とせ流家元の3代目松鶴家千とせを襲名した。特徴的なアフロヘアと「シャバダバ~、わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」のフレーズで人気を得た。

松鶴家二郎・次郎だったビートたけしときよしの漫才コンビ「ツービート」も、千とせさんが「ザ・ビートはどうか」と提案したことから名付けられた。親交のあった俳優山城新伍に頼み込み、山城が司会の東京12チャンネル(現テレビ東京)の深夜の生バラエティー「独占!男の時間」に出演させるなど後輩の面倒見のいいことでも知られた。

◆千とせさんの流行語になった主なフレーズ

▼「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」

▼「シャバダバダディー~!イェーイ!」

◆松鶴家千とせ(しょかくや・ちとせ)本名小谷津英雄。1938年(昭13)1月9日、旧満州生まれ。第2次世界大戦後、日本に引き揚げ福島県原町市(現南相馬市)で育つ。53年に上京、松鶴家千代若・千代菊に入門。75年発売の「わかるかなぁ わかんねぇだろうなぁ」が160万枚の大ヒット。「俺が昔夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった」のギャグを飛ばし、76年映画「トラック野郎・望郷一番星」に出演。全国さつまいもの会会長。