音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日に亡くなったことが2日、分かった。71歳だった。

所属のエイベックスがHPで、3月28日に亡くなったと発表。「2020年6月に見つかったガンの治療を受けながらも、体調の良い日には自宅内のスタジオで創作活動を続け、最期まで音楽と共にある日々でした」とつづった。坂本さん自身の強い遺志により、葬儀は近親者のみで済ませていることも報告した。

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坂本さんは、三島由紀夫さんの「仮面の告白」などを手掛けた有名な編集者だった父と、実業家の家系で帽子デザイナーの母の間に、東京・中野区に生まれた。3歳のころからピアノを習い、音楽に親しんだ。

4歳か5歳のころ、母と映画館に行き、膝の上に座ってイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の映画を見た。その時に聞いた主題歌が耳にこびり付いた。音楽家、映画監督は「この時の影響があった」と述懐している。 新宿高校卒業後に、東京藝術大に進み、新宿ゴールデン街で知り合った音楽家の影響で、スタジオミュージシャンとして活動を始めた。山下達郎、大滝詠一さんらのアルバムに参加。同大学の音楽学部作曲科を卒業。同大学院音響研究科修士課程に進んだ。

78年に細野晴臣、高橋幸宏さんとともに「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成。日本のテクノポップを流行らせる先駆け的な存在となった。「教授」の愛称は、坂本さんが大学院生だったことに驚いた高橋さんが「大学教授にでもなるの?」と話したことから付いた。 ビートたけしとデヴィッド・ボウイが出演した83年公開の映画「戦場のメリークリスマス」では、音楽を担当。高く評価され、「英国アカデミー賞作曲賞」を日本人として初めて受賞した。

その音楽性は幅広く、忌野清志郎さんとコラボした資生堂の82年のCMソング「い・け・な・いルージュマジック」が大ヒット。当時としては珍しく、ド派手なメークを施した姿が大きな話題となった。同年にはシンガー・ソングライター矢野顕子と結婚。2人の間には坂本美雨がいるが、06年に離婚が成立した。 90年代後半からは、環境・平和問題についても積極的に意見を発信した。憲法9条改正には強く反対する姿勢を示し、チャリティーコンサート開催や、被災地の復興支援の基金を立ち上げた。先月にも共同通信のインタビューで、神宮外苑再開発に反対する意志を示すなど、社会活動家としても社会に影響力を持ち続けた。

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